様相論理の研究から、可能世界論が展開されてきた。

 もし愛犬が他の犬だったら自分はこんな暮らしで、あるいは、愛犬が愛猫だったら、と可能性世界が分岐していく。かえたすべての、ある、という論理学における量化子を捉えるのに、すべての可能世界で、ある可能世界で、と置き換えることで複雑な命題も集合の包含関係で明快にできる。反事実条件文も分析できる。因果分析も確かになる。

 論理学者にとって使いでのある枠組みなのだが、ある人の人生も転換した例もある。会議が長引いて次の便に乗ったが、元々の便は911でハイジャックされてビルに激突したという。この方は、自分が911で犠牲になった可能世界をありありと思い浮かべ、それまでの仕事を辞めて家族との時間を大事にするようになった、と語る。可能世界は有用性は、様相論理の範囲にとどまらない。

 元々、人間は可能世界で思考を深めてきた。自分がチョウだったらと、輪廻の世界観を抱く。死後の世界を思い浮かべ、功徳を積む。相手が不在の可能世界を体験し、愛を知る。物語への没入もその作用による。そして様々な可能世界同士は繋がっていて、対応者としての様々なアイデンティティも相互に作用している。