ある個人が、その所属するさまざまなコミュニティにおいて、それぞれのアイデンティティを備えることは、ナッシュ交渉解の公理から説明できそうだ。

 ナッシュ交渉問題は、二者間の交渉において次の4つの公理が成り立つときに、唯一のナッシュ均衡がもたらされることが示される。このナッシュ均衡がアイデンティティに相当すると考えられる。4つの公理は、1. パレート最適性. 2. 対称性. 3. 正アフィン変換からの独立性.4.無関係な結果からの独立性、である。

 パレート最適性は、両者が合理的に判断するもので、自分が損しても相手を損させるといった嫌がらせを選ばないことになる。対称性は、二者の選択肢とそれぞれの利得が同等ということで、同じコミュニティに属する任意の相手についてこの対称性が成り立つことを示す。正アフィン変換からの独立性は、このコミュニティにおいて価値尺度を変えても、選好の順序や比例関係が変わらないことに相当する。無関係な結果からの独立性は、この交渉が、他のコミュニティにおける交渉とは別々であることになる。

 このように見なすと、人がそれぞれのコミュニティにおいて、メンバー同士は同等で価値観も揃い、合理的な思考行動様式をとり、他のコミュニティとは切り離される、という状況でアイデンティティが保たれることが分かる。コミュニティが異なれば、その価値観や思考行動様式は異なり、アイデンティティも異なる。無関係な結果からの独立性は、他のコミュニティと分離して、コミュニティの複数性を導く。

 このように人がさまざまなコミュニティに属して、それぞれのアイデンティティを備えることはゲーム理論で裏付けられると思う。