単細胞生物は、匂いや味といった化学的な刺激を受け、繊毛などで運動して摂食ないし退避をする。そう考えると、人間の皮膚が単に表面を覆っているだけのはずはないと思う。

 で調べてみると、そもそも皮膚は最大の臓器で、重量にして16%を占めて表面積は1.6㎡にも及ぶ。この皮膚細胞は圧力や温度だけでなく、やはり光や音、匂いも感じていることが分かってきた。そして表皮を構成するケラチノサイトには、興奮ないし抑制の電気状態を生み出す受容体が存在する。乾燥した皮膚からは、不安物質と言われるコルチゾールが分泌される。皮膚細胞同士は、電気信号と化学物質を介して情報伝達を行なっている。要するに、皮膚には知覚と判断、コミュニケーションの機能が備わっている。

 さらに皮膚常在菌叢も発達していて、宿主の免疫細胞の応答制御を司っている。病原体を検知・捕食・分会し、病原体の情報を他の細胞に伝え、抗体をつくらせる。感染した細胞を破壊する。病原体を死滅させた後に免疫系の働きを止める。要するに皮膚は微生物と共生して、自己を保っていることになる。

 人間は体毛を失って皮膚を露出することで、このように敏感に知覚し、判断とコミュニケーションを行い、健全に自己を保つ能力を得た。軟体動物のタコも同様で、鱗や殻がない代わりに、皮膚を介した高い知能と身体能力を備えている。この皮膚が陥没して管状になったのが消化管であり、陥没して空洞が塞がれたのが脳である。人間の判断や行動のほとんどが無意識に行われると言われるが、以上の結果からすると無意識の相当部分が皮膚細胞とそのネットワークが司っていることになろう。

 外なる自然、いわゆる生物世界は、土壌の微生物と共生し、情報や養分をやりとりする複雑な細胞たちのネットワークとして捉えられる。一方、内なる自然、いわゆる人体も、皮膚や腸内の細菌叢と共生し、情報や養分をやりとりする皮膚等の細胞たちのネットワークである。外なる自然と内なる自然も、根本の原理は同じということ、これが梵我一如の示すことなのかもしれない。脳偏重の世界観ではない。