ジョン・バース、ポール・オースター、と現代アメリカ文学を代表する作家が相次いで亡くなった。トマス・ピンチョンも執筆活動はしているのだろうか。同時代性というのだろうか、発表される作品をリアルタイムで読ンで楽しめた。

 特にジョン・バース。人は物語によって時間と自我を織り上げるのだが、バースはその物語のあり方を多様に組み換え、歪んだ時間と自我からの救済を探る。そうした企てを、人間の域を超えるような知性をもって、密度の高い文体で特別なエンターテイメントに仕立てる。そして中編の悲劇と喜劇、長編のSFと歴史小説と冒険小説、書簡体小説などの物語分野をカバーしていった。キューブリックが映画で各分野をカバーしていったのを思わせる。

 もう四十年前になってしまうが中編小節「旅路の果て」は、古典的な三角関係の枠組みを用いて、行為遂行的な知の過剰と崩壊が生々しく描かれて、深淵はすぐそばにあるにか暗澹とした気分になったものだ。「ヤギ少年ジャイルズ」もSFと教養小説の形式を用い、神話から宗教、ギリシャ哲学といった西欧の知の枠組みを解体しながら、ヤギとして育てられた少年が英雄になる。「酔いどれ草の仲買人」は、独立前後のメリーランド州の歴史を自らも騙る桂冠詩人が支離滅裂の膨大なエピソードから立ち上げる物語で、歴史ってこうなんだと痛感させられる。「レターズ」は書簡体小説の形式で、1812年のアメリカ第二次革命の映画を撮影するという状況を設定、こうした作品群の主人公たちなど七人の手紙が徐々に交錯し、相互に関わりを深めてエンディングに向かう。世界と自我とについて、インド哲学の業と縁に行き着いた感がある。

 優れた翻訳があったのだが、今はほとんど絶版なのが残念である。オースターやピンチョン戸は扱いが違うなあ。この機に、ジョン・バース全集として刊行してほしい、文学の到達点なのだし。