今まであまり意識していなかったが、江戸時代では、島原の乱、由井正雪の乱、安政の大獄、蛮社の獄など、徳川幕府がうまく統治できず、幕末は弾圧に走ったような用語が使われる。綱吉の徳治主義も、生類憐みの令を面白おかしく解釈して、おかしな將軍のような印象を与える。管理貿易なのに鎖国、武士は窮乏し身分は流動的だったのに士農工商。鎖国も士農工商も明治期の造語だと言う。

 一方、明治以降では国家犯罪を覆い隠すような用語が使われる。大逆罪でもないのに幸徳秋水らを拷問・虐殺したのに大逆事件、共産党員1600人を特高が検挙・拷問したのは三・十五事件と数字だけ、関東軍の謀略なのに満州事変、といった具合だ。重税・負債に苦しむ数千人規模の武装蜂起なのに、乱でもなくて秩父事件。シベリア出兵に端を発した米騒動は全国で2ヶ月も続き、寺内内閣を総辞職に追い込んだ市民革命なのだが、乱でも革命でもなく「騒動」と名付けられる。さらに強権と弾圧による侵略なのに、韓国「併合」という。阿片漬けでドロ沼の日中十五年戦争は、対米の太平洋戦争に呼び替えられる。

 こんな風に近代の事件の名称を見てみると、どうも薩長体制側の視点で命名・流布されているような気がしてならない。今でも、条約もないし、実質は地位協定で服属しているのに、日米同盟と呼んで軍事協力に前のめりなのも命名による印象操作なのだと思う。市民の立場で呼び替えられないかな。