今日はあの田中優子さんから、江戸の政治・経済について伺った。内容としては

 江戸時代は、儒学思想に基づく平和な治世が続いた。武家の子弟は、藩校で四書五経を学び、武力による覇道を嫌い、修己治人(徳のある者が世を治める)や「経世済民」(世を治め人々を救う)といった教えを身に着けた。そして藩校では、ヴィゴツキーが提唱したような協同学習が展開された。その手順は

  1. 素読 7-8歳ほどまず各自で声に出して何度も漢文を覚える。意味は分からなくても良くて、音の連なりを体に染み込ませる
  2. 講釈 15歳位から覚えた漢文の意味を、教師が説明する
  3. 会読 講釈を受けた生徒が十人単位になり、一人ずつ輪番で漢籍の説明をして、ほかの生徒とその説明を内容について討議する
といったものだった。私たちが眠かったのは、一方通行の2 講義だけだったからだろう。素読を重ねて暗記することで、ふだんの会話にも「義を見てせざるは勇なきなり」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」といった漢文を織り込むことができる。儒学思想が身につく。

 特に注目されるのが会読である。大学のゼミナールでも各自順番にレジュメを作って発表し、質疑応答を重ねる形式をとる。藩校では、より年少の頃から、こうした会読で仲間同士で熟議を重ねる訓練を積む。説明する側は、講釈を鵜呑みにして繰り返すのではなく、自分で考えて自分の言葉で議論を組み立てることになる。こうした訓練によって、政治に関わる実際の問題も、会議で建設的な議論をやりとりして、共通の価値観に基づいて決定することができる。いまと違って、会議も捗ったことだろう。

 協同学習は江戸時代には機能していた。明治時代からは一斉学習になり、自分で考えて自分の言葉で議論を重ねる、という力がお座なりになったとも思われる。