主題歌がSEKAI NO OWARIのRPGということで映画「クレヨンしんちゃん バカうまっ! B級グルメサバイバル」を観てしまったのだが、これはグレマスの物語論をよほど研究したもののようだ。

 グレマスの主張では、どの物語も、主人公が依頼主からの依頼である対象を送り手から受け手に届ける、それを援助する者と邪魔する者がいる、という構造を備えているという。赤ずきんでは、お母さんに頼まれてケーキと赤ワインをおばあさんに届けに行く、オオカミが邪魔して赤ずきんちゃん、次におばあさんを食べるが、狩人に助けられる、という構造である。クレヨンしんちゃんでも、主人公しんのすけが、謎の女性から焼きそばソースを託され、健さんに届けに行く、それをかすかべ防衛隊や野原ファミリーらが助け、A級グルメ機構が邪魔する、という構造を踏襲している。

 でもこれに留まらず、ひねりやすかしを混じえるのがクレヨンしんちゃんである。届ける対象は、一般的な物語では、宝物や魔法の道具、大事な手紙などだが、ここでは焼きそばソースの入った壺だ。そして依頼主の謎の女は「あたし、健さんの都合のいい女じゃないんだから」と子供映画にあるまじきセリフをこぼす。受け手のモデルは高倉健だが、焼きそばの作り手でヘラ使いの達人である。邪魔するのはA級グルメ機構でB級グルメカーニバル会場を乗っ取るのだが、A級vs.B級というくだらなさだ。そして冒頭から「キミとボクは一進一退だ」「それを言うなら一心同体でしょ」といったギャグが満載である。物語論の脱構築とでも言うのかも。


 昔話もクレヨンしんちゃんも、といつでもどこでも物語の基本構造は同じようだが、そうすると私たちの社会認識も、グレマスに従えば関係者は、主人公、対象、依頼主、送り手、受け手、邪魔する者、支援する者に分類し、欲求と送達と対立・協調といった構図で捉えるものとも思われる。マーケティングでも商品やサービスに物語性云々とか言うが、その中身はこの社会認識の構図なのだった。