森林には知性がある。

 ブナは、お互いに意思疎通しながら、日当たり、水や栄養を分かち合い、老木を助ける。地中に根とともに広がる菌根菌類とも共生し、情報をやりとりして、菌根菌類は酵素を分泌して土を分解してリンや窒素を根に送り、樹木は光合成で得た栄養分を菌根菌類に渡す。光合成には量子コンピューティングが起こっているという。被子植物になると、昆虫に蜜を提供し受粉や運搬を任せる、というように共生関係をむすぶ。

 また、この土1gに10億個以上、6,000 ∼50,000 種のバクテリア、200mにも及ぶ糸状菌の菌糸が存在し、協調と競合しながら平衡状態を保つ。動植物の遺体は、土壌動物や微生物が分解し、栄養分を土に戻す。樹木の根は石片を破砕し、土壌を団粒構造にして、表面は好気菌、中は嫌気菌、と多様性と透水性を得る。日本では多くの樹木が土壌を酸性化し、他の植物の侵入を抑える、という生態系を構成している。

 言うなれば森林は、量子コンピューティングも交えて大小膨大な数の演算装置がネットワークを構成し、遺伝的アルゴリズムを走らせて各々の最適化問題を解いている巨大な知性体なのだった。

 こうした知性体と関わるなら、人間には何が求められるだろうか? 森の人 ムラブリを参考にして条件を挙げてみた。

  1. 極微から極大までの膨大な生き物たちの、複雑で多様な関係性の網の中で自分たちが生かされていることを知る。従ってこれを尊重し、皆伐や開墾など網を壊して単純で一様にしたりしない。森林からの恵みを得るのも、それが速やかに回復される範囲に自らを律する
  2. 従って単独ないし小集団で常に移動しながら、その時必要なだけ採集・狩猟し、平等に分かち合う。所有や貯留、定住はせず、協同に反する富や権力の集中も避ける。敵対しそうなときは、お互いに遠くに離れて争いごとにはしない
  3. 森林で生き抜くための知恵、いわゆるローカルノレッジ(果実や獲物の分類・ありかや時機、捕食の方法や手順、寝床の準備、集団での振る舞いなど)は代々蓄積されて豊かである。一方、支配や統制、暴力、作為に関わる言語体系を持たない

こんなところだろうか。1は空観、2は放下着、3は道理、といった仏教哲学にも通じる。森林の思考は、自己中心的で欲望や権力に偏向する思考とは対照的である。現生人類は40万年前に登場し、農耕主体に定住生活を始めるたのは1万年ほど。ほとんどの期間は、森林の思考で適応して生きてきた訳だ。なので私たちは、遺伝的に森林思考を強く残し、これに浸るのが嬉しい。そもそも人間も複雑で多様な関係性の網、30兆個の細胞と100兆個の常在菌とが、脳内でないが脳内伝達物質物質などをやりとりして情動や行動に至る生き物で、脳はそのチェックモニターに過ぎない。森林と型は同じなので馴染むはず。