知識の発展の土台は、探索空間の分離と貼り合わせの仕方にある。タコツボのように狭く孤立した空間を設定し、そこで集中して探索するなら、局所最適化には比較的速く到達する。これにふさわしい用語として、カテゴライズを使うこととする。ちょうど数学の圏論が、圏はカテゴリーの和訳で、圏と圏との関係を調べる分野なので良さそうである。

 サッカーを例に、カテゴライズの意義を説明してみよう。例えば、練習メニューをリフティングや持久走にカテゴライズして、そこだけ個人個人が上手く走れるようになっても、試合では通用しない。一方、プレーを止める・蹴るでカテゴライズし、ミリ単位の精度でピタリと止める、0.5秒で15m先の相手にミリ単位の精度でインサイドキックでパスを送る、といった訓練の徹底の先に試合を支配することができる。

 比較優位の理論に従えば、お互いに比較優位な業務に集中することで、交換を経てより高い効用が得られる。ここで問題なのが、どのように業務を分けてまとめるか、という枠組みである。リフティングを千回出来て褒められた、と局所最適化でそこそこ上手くいっていると、より優れた新しい枠組みに対しては自分の努力が否定されるようで億劫になる。なので新しい枠組みが打ち出されても、それに従う協力メンバーが集まらず、日の目を見ないことにもなる。

 半導体を例に取れば、元の枠組みは、産業用の汎用、民生用の専用というカテゴライズだったと思う。民生用で、特にに、ゲーミングPCの画像処理専門というと、国策会社には乗りにくい。軽んじてもいたかもしれないでも新しい枠組みは、コア数数個で連続的な計算処理と、コア数千個で並列的な計算処理、というカテゴライズになる。後者は人工知能をも支える成長分野であった。カテゴライズ次第で産業が発展も衰退もする。

 ところで、カテゴライズの習得方法はどんなものだろうか? 子どもたちの遊びを思い浮かべると、仲間分けの遊びが良さそうだ。例えば家畜でも、偶蹄類と奇蹄類という分け方もあるが、体毛の長短や有無で分ける方法、草食・肉食・雑食で分ける方法、指示行動の難易度で分ける方法、色や耳の形で分ける方法など、いろいろ出てくるだろう。次にこうした仲間分けで、どんなことが分かるのか、を考えてもらう。体毛は気温と関係あるのか、食性によって環境が変わるのか、指示行動に長けた動物と一緒の人間集団は繁栄するのか、といったことを説明できるかもしれない。このようにしてカテゴライズとその意味合いを、楽しく習得できる気がする。大人だったらどういうのがいいかな。