同世代の人たちと祖父について話しをすると、何故か笠智衆の演じるおじいさんに似ていることが多いことに気づく。寡黙で控えめ、周りには寛容で、筋を通す。そんな共通点が浮かぶ。笠智衆の台詞でいうと

「そうかな。」

「そうか、それは良かった。」

「わしが悪かったんだ。すまん。」

「いかん、いかん、それはいかん。」

自分の祖父もこんな言葉をよく口にしていた。

 背景を考えてみた。大正デモクラシーの影響を受けた両親に育てられ、国家主義に染められて、敗戦後は民主主義の世の中に、と価値の座標軸が大きく変転する。徴兵されれば、無能な上官の命令と古参兵の暴力に苦しみ、略奪、暴行や虐殺、餓死に直面した。長男でなければ継ぐものもなく、自分で生計を立てなければならない。戦後しばらくは、大半が困窮して頼るものもなく、毎日を綱渡り。運良く就けた仕事だから誠実に勤め上げる。子どもたちが一人前になれば、もうやるべきことはやった、と。

 こうした境遇なので、自分で価値観を見つめ直し、余計なことは言わずに自力で生活を支え、もし周りの助けがあれば感謝する、という姿勢になったのだろう。でも譲れないものは譲らない。小津安二郎、大岡昇平、水木しげる、らも同様の経験であの表現に至ったのだと思う。また戦地でPTSDになり、無口で無表情、しばしば激昂し悪夢に悩まされるおじいさんもいらっしゃた記憶もある。


 世代が代わると、暴走老人や欲ボケ爺と言われるような高齢者も目立つようになる。某政党の重鎮とかもおもい浮かぶ。周りの価値観に左右され、会社や業界秩序に支えられて、守りの姿勢でずっとやってきた、という背景があるからか。

 自分は暴走老人より、笠智衆のように老いていきたいな。