李白の最期の詩として知られる「臨路歌」には、豪放磊落で誇り高く生きてきた気概が感じられる。

大鵬飛兮振八裔
中天摧兮力不濟
餘風激兮萬世
遊扶桑兮掛左袂
後人得之傳此   
仲尼亡兮誰爲出涕

 自分は大鵬、四方八方に羽ばたこうとした。ところが中空で翼が折れて、自力で立て直せなかった。でも自分の業績は後世まで刺激しつづけるだろう。東方を彷徨って左の袖を引っ掛けて墜落したんだ。しかし後世の人が自分の業績を得て広めても、孔子のように見る眼のある人がいなくて、誰が大鵬に涙してくれるだろうか。

 辞世の句というと、諦念や無常観に覆われるものだが、一生振り返る李白はぶっ飛んでいる。自分を大鵬に喩え、大空を羽ばたく壮大な構図を示す。挫折も中空からの墜落とは豪快だ。自分の詩が永遠に評価されることにも自信がある。でも本当に評価できるのは孔子様ぐらい、というのも強烈な自負心である。
 これほどのスケールとエネルギーを最期まで持ち得るものか、と感心する。このスケールとエネルギーがあればこそ二千年を経てもその詩業は、マーラーの大地の歌にも引用されるほど広く知られ、人類史上最高の評価を得ている。
 もう歳だから、とやらないことを増やすのではなく、最期までスケールとエネルギーを持って臨むのもありだな、墜落するかもしれないけれど。