日本各地の庄屋には、共通の空間構成がある。広大な屋敷だが、家族と女中の部屋はこじんまりとしている。大半はいくつもの広間と土間で、説明書きではここで来客との会議を行い、脇の部屋では帳簿や出納などの事務作業を遂行していたらしい。要するに、庄屋はいまでいう市庁舎であって、議場と役所、公邸を含めた空間だった。こうした庄屋は多くの小作人を擁して資本を形成し、幕末には藩に相当の融資も行っていたそうだ。

 大河ドラマでは武士たちの努力・友情・勝利が描かれるが、庄屋の屋敷を見るにつけ、この時代の主役は庄屋をリーダーとする村落社会だったことが実感される。境界を接する村落同士が、入会地の権利を巡って紛争になることがあるが、こうした諍いを武力を背景に仲裁する、あるいは訴訟として受け付けて、事実関係に基づいて判決を下す、その履行を監視する、というのが武士の基本の役割だった。この司法機能に対し、庄屋が保険料や顧問料として支払うのが年貢だと考えられる。主従が逆転する感じだ。

 大規模な戦闘となると、まず村落社会からはじき出されたならず者たちが登用される。そして度重なる飢饉や略奪で、その日の食べ物にも困る百姓が見返りを期待して加わる。見返りの例は、落ち武者狩り、田畑の奪還である。百姓も狩猟に従事していて、隊列を組んで包囲する、弓や鉄砲で仕留める、といった軍事にも長けている。戦場や戦場に至るまで、数十kmも道なき道を往くのだが、これには現地の狩猟集団に案内を頼むしかない。山中で裏切られたらおしまいなので、普段から鷹狩りに起用するなど手厚く処遇していたことだろう。者共出会えの号令で、百姓が自発的に加勢するというのは虚像だと思われる。

 でも大河ドラマとしては、村落社会主体ではなかなか描けないと思う。登場人物は無名、内容は地味だからなあ。それでも町人も長屋の人情噺などがドラマになるのだから、百姓も焦点を当てても良さそうなものだけれど。