宮脇昭氏は、いのちの森づくりで知られるが、その師であるチュクセン氏はその元となる潜在的自然植生の考え方を提唱し、生態学者ではなく生物社会学者と自認していた。戦争で荒廃したドイツに、この潜在的自然植生の考え方で森林を再生させ、これが森林管理の職能を発達させた訳だ。生物社会学の発想は、多様な生物たちの織りなす秩序に協調や競争、組織化といった社会性を見出し、人間もその一部として捉えるところが新鮮である。今から半世紀以上も前の考え方であるが。

 植物相も高木、亜高木、低木、下草といった多層の群落として捉え、地中の菌類、バクテリアとの共生関係も含め、周辺の群落や地形との関係も調べる。そこでは落葉や枯れ枝は繰り返しミネラルになるまで分解され、土壌を豊かにして、一部は河川を下って海に栄養を与える。人間が介入してスギ林のように単層にすると、人手がないと持続できなくなる。西欧のようにここに牛を放つと下草が食べ尽くされて、森林も失って荒野になる。森林が荒廃、消失すると、周辺の農地も乾燥化し、保水機能がないので洪水にも見舞われる。幼児期に森に触れることで免疫系も発達し、森の恵みで腸内フローラも多様化するように、植物相に人間も組み込まれている。


 この視点からすると、日本の開発は生物社会を解体し続けるものだった。戦時にハゲ山にした後にスギを植林し、ダムでミネラルの循環を止め、道路で森を分断する。下流の都市化を優先させたためだ。産業発展のために、都市そばの干潟も工業用地として埋め立てられた。近年は高層化によってヒートアイランド現象を起こし、潜在的自然植生には暑すぎる都市気候にした。子どもたちも森や土に接する機会もなくなり、免疫系が乱れてアレルギーに苦しむ。生物社会はこれでは持続可能ではない。地の道に反している。

 生物社会を解体する開発はもうやめだ。