進歩史観は、自分の主張をもっともらしく彩るための虚構だった。グレーヴァー「万物の黎明」を読み進めると、半鐘となる事例が次々と挙げられる。

 まず原始共同体から農耕社会へ、という単純な移行ではない。農業技術を備えていても、あえてこれを採用しない社会もあった。あくせく働かざるを得ず、楽しくない。蓄えていると略奪される。そうした理由で隣で耕作していても、狩猟採集を主とする。農耕をするにしても、一年のうちの限られた期間でこのときは統率者のいる大きい集団組織、それ以外の時期は小さなチーム組織に、と社会構造を使い分ける。農耕で余剰生産物が増大しても、富裕層から率先して皆に分配する社会もある。富が集中しても、権力に結び付かない社会もある。それぞれの社会が、まわりと差別化しつつ、生産様式や組織構造を選んで工夫を重ねているのだ。

 通説だと、大規模な灌漑などは権力の集中と生産力の増大が相俟って成立する、だから古代専制国家が隆盛した、とされる。でもコモンズの研究としてフィリピンや広島、ペシャワール会によるアフガニスタンの灌漑を調べると、手掛けた人たちからの水利組合をつくって、公平に労役を提供して水を分配する仕組みを備えていることが分かる。灌漑が、必ずしも富や権力を集中させるものではない。

 網野善彦氏の研究でも知られるが、日本の百姓は農耕だけでなく、流通、運輸、工芸、建設、漁撈などそれこそ百種類ほどの仕事をこなしていた。そうした共同体が発達し、共同体間の紛争を抑えるために武士を利用した。武士に抑止力や司法機能が十分でなければ、別の武士に依頼する。大名が農民を従えるという構図は、大河ドラマの作り物であった。

 こんな風に事実を当たると、進歩史観は支配体制を正当化するための虚構だと分かる。支配する側には都合のいい歴史教育である。人類は長い歴史において、それぞれにふさわしい社会組織を自らデザインしてきた。今だってできるはず。