関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に、小池百合子東京都知事が7年連続で追悼文を送らない。史実は歴史家がひもとくこと、という理由だそうだが、すでに膨大な証言や記録から史実は明らかである。こうした都知事の言動は、戦前の右翼と同様で人権や法の支配を蔑ろにしたものだ。こうした言動や都市破壊政策などが容認されて三選されるというのは情けない。史実からこの事件の背景を掘り下げて、二度と繰り返さないようにしたい。

 背景として浮かび上がるのは

  1. 差別意識 1910年に日本が韓国を植民地化し、土地を収奪された人々が日本に渡り、震災時に十万人に急増する。こうした在日朝鮮人たちは、劣悪な住環境において、紡績、石炭、鉄道工事といった産業で低賃金労働者として雇用される。周囲の日本人たちは、恨まれてもしかたがないほど日常的に差別的言動を繰り返していた。
  2. 煽動 「井戸に毒を入れた」といったデマに、政府は否定するどころか「周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加え」と海軍無線電信を広め、三一運動の再来を恐れて弾圧に乗り出す。こうして府県の指導のもとで、民間の自警団が組織される。
  3. 同調圧力 自警団は、軍や特高と共に在日朝鮮人を追い詰め、によって半日のうちに数千人もの人々の命を奪った。混乱の中で理性を失ったという紋切り表現があるが、ゲーム理論からするとイジメの構図と同様に「もし自分が加担しないと、自分も疑われて暴行を加えられる」という冷静な損得勘定が働いていたとも思われる。「おかしくないか」と一人で提起できない状況である。
  4. 免罪 この事件の加害者たち、自警団、軍や特高、政府に対して、捜査や裁判もなく、大量虐殺の罪を問われることがなかった。朝鮮で悪評が広まって移民が減る、国際世論の非難を恐れる、という理由もあったと言われる。しかし、法の支配のない国家体制には歯止めはなく、保身と暴走に傾く。

といったものだ。差別意識からの構造的暴力が、国家体制によって非人道的暴力に転じてしまう。

 いま、こうならないと言い切れるだろうか? マイノリティに対するSNSなどでの罵詈雑言、批判的思考を希薄化させる教育やメディアと政治家、自治体や町内会やPTAなどにおける同調圧力、偽造・捏造・隠蔽・汚職なども有力者は不問という体制。痛ましい事件が百年経っても再発しかねない要素は残っている。それだけに、都知事も政府も、関東大震災朝鮮人虐殺事件の事実認識と追悼を怠ってはならない。