なぜ東京は大空襲を受け、あれ程の犠牲者を生んだのだろうか。

 以前聞いた話では、様々な軍事物資の生産を下町の民間工場、その内職を民家が担っていたそうだ。米軍にとっては軍需工場を爆撃対象にした、という理由がつくということだろうか。それでも焼夷弾で焼き尽くすのは、常軌を逸している。

 日本の指導部の姿勢も奇妙だ。関東大震災があったにも関わらず、中心区域の外は木造密集地域が拡大するに任せた。民間人の防災は後回しである。建物疎開で強引に空地帯をつくったが、これも大火災に見舞われた街区から隣接する街区への延焼を防ぐのが目的だった。火災の拡大は一時間で600棟ほど、民間人の消防活動の及ぶところではない。火元の街区は見殺しである。

 無差別爆撃では日本軍が先行していた。ドゥリトル、重慶の無差別爆撃は明らかに戦争犯罪だった。大本営は一億火の玉を掲げ、民間人を巻き込んだ徹底抗戦を図っていた。米軍は、民間人も戦闘要員で軍需生産に携わっている、日本軍はすでに無差別爆撃を実行している、やむなしとでも考えたのか。

 このように東京大空襲で明らかなのは、日本軍も米軍も、東京で暮らす民間人の命を、何でもないけれどかけがえのない日常生活を、これっぽっちも尊重していなかったということだ。大空襲の悲惨さが語られるとき、その奥に国家は市民の命を、人権を無視するものだという認識を共有したい。