イノベーションの研究を再開してみる。既往研究を抑えるのに、まずアギヨン「創造的破壊の力」に当たる。シュンペーターの考え方をデータ分析や歴史で確認している。

 はじめはテイクオフの奇跡、つまり富の著しい蓄積がなぜ19世紀初めまで起こらなかったのか、それがなぜヨーロッパで起きたのか、を説明する。自動織機や内燃機関の発明、印刷術などのイノベーションの蓄積と、発明家の利益を守る知的財産権など制度の確立との組み合わせに、テイクオフの要因を帰着させている。

 驚きだ。ノーベル賞受賞級の碩学アギヨンにして、重要な論点をすっかり落としている。富の蓄積は植民地での苛酷な収奪に始まったのではないだろうか。徳川幕府やソンガイ王国を始め、アジアやアフリカでは平和な秩序を築いて交易によって経済を潤していた。印刷術や航海術、造船術は中国で生まれた。一方のヨーロッパでは飢饉、感染と略奪が絶えず、マスカット銃などの武器開発が進んだ。そしてポルトガルやスペインは交易相手の西アフリカに目をつけ銃を用いて侵略し、奴隷を調達して大規模農場で働かせてサトウキビなどを栽培・加工するモデルを開発した。奴隷の人権は無視され、苛酷な労働に耐えられなければ、拘束、拷問、虐殺が繰り返された。この収奪モデルを後発のイギリスは拡大させ、カリブ海のバルバドス島のサトウキビ、綿花、コーヒーにはじまり、インドではアヘンと茶、綿などを大量生産させ、中国はアヘン漬けにして侵略した。奴隷の総数は2000万人にも及び、インドで200年間全く豊かにならなかった。その分、ヨーロッパは富を蓄積した。そしてインドの綿織物の輸入代替として、紡績、織布の機械化が図られて世に言う産業革命に至る。テイクオフは、収奪モデルに始まった。この事実からなぜ目を背けるのか?

 こうしてみるとアギヨンの分析に、モデル構築という視点が欠けているのが分かる。技術と制度と並んで、モデル構築がイノベーションの礎になる。植民地時代では、収奪モデルがマスカット銃と海運制度と組み合わさる。産業革命では、軍隊・工場モデルが機械化と財産権制度と組み合わさる。ネット時代は、マッチングモデルとIT、知的財産権制度になるだろうか。こんな風に、イノベーション研究に新しい視点を加えられるかもしれない。