都市集積には、臨界点があるようだ。

 田畑や漁場は、連作障害や乱獲があるので集積は起きにくい。工場も一括生産になるほど分散する。求人できる限り、地代が安い方が有利なので、遠心力が働く。ショッピングモールも同様で、都市集積は起きにくい。ここでは農作業から家屋の修繕、作業車の運転まで万能な人が輩出される。

 でも都市集積がいったん始まると、分業化と専業化と、多様な資質の人々の流入が相互作用で進展する。そこではスキルや財・サービスのマッチングや、専門性を上げるラーニングが重要であり、マイナーな嗜好にも規模があるのでシェアリングも有意義になる。こうして求心力が働く。

  こう考えると、いったん求心力と遠心力のバランスが崩れると二極化しそうに思える。理論的には資本化仮説が示すように、地代上昇が都市集積の利益を吸収し、実質の可処分所得は同等になるのでバランスするはず。そうすると制度や技術等(開発政策、モータリゼーション、ITなど)の変動でバランスが崩れると、次のバランスに移るということだろうか。

 見方を変えると、都市集積の外部経済を生かすのは、マッチング、ラーニング、シェリングをより効率的で公正に展開する仕組みを埋め込むことだとも思える。神の手に委ねるのではなく。

 何か指針になるかな。