ネイティブ・アメリカンの詩集には、忘れてはならないことが刻印されている。

 

(前略)

ソンミを忘れるな。

 

五十年も経つと

何が起こったのか

誰も知らなくなった。

 

政治家だけではなかった。

 

サンドクリークを忘れるな。

 

「征服はナヴァホ族にまでおよんだ。族長であった戦士は騎兵隊に暗殺された。鍋で煮込むために彼は小さく刻まれ、ほかの族長たちはそれを食べさせられた。そして条約が締結された。それがどういうことになるのか。バイユート族に聞いてみなさい。」

(後略)

 

 ホロコーストと言うと、もっぱらナチスによるユダヤ人虐殺が取り上げられる。独裁、ファシズム、官僚制、凡庸な悪、人種主義、拡張政策といった特徴が挙げられ、クメールルージュやアミン、ムガベ体制など、こうした特徴を備えた政治行動が国際的に非難される。

 でも、この見方はホロコーストを欧米諸国の原罪から巧みに目を逸らすものなのかもしれない。例えば、このネイティブ・アメリカンへの数々の大量虐殺は、独裁、ファシズム、官僚制によっては必ずしも特徴づけられない。そこに現れている残虐性は、個々人のレベルの強欲と差別意識、狡猾さである。体制の命令ではなく、個々の自由意思にもとづくだけに心底恐ろしい。欧米の植民地支配にも共通し、のちの強欲資本主義にも通じると思う。

 アメリカにはユダヤ人に関するホロコースト記念博物館はあるが、大統領は未だにネイティブアメリカンへの公式謝罪を表明していないと聞く。二重基準ではないだろうか。五十年も経つと何が起こったのか誰も知らなくなった、という時の忘却作用に、詩の言葉は抗っている。