教育制度というと、入試制度や学科再編、統治機構などに手をつけてしまう。その目的が、産業界に喜ばれる、文教族に都合がいい、ということなんだろう。でも本来の目的として、一人ひとりが望むようにケイパビリティを向上させること、と置くとまるで違ってくる。

 一人ひとりに合わせて、多様なプログラムとのマッチングを図る、習熟状況や動機などに応じたラーニングないしワーキングを進める、というプロセスを、ライフステージ毎に繰り返していくことが基本形になる。

 初等教育では、いまは学年ごとの一律の集団授業が主体だ。そしてこれに馴染めない子どもたちははじかれる。順応した子どもたちも大人たちの意向に合わせるうちに、自発性を削がれことも少なくない。ここにマッチングとラーニングの観点を導入しよう。例えば自動車好きな子どもには、実際に自動車を分解してその工学や交通システム、経済外部性などを理解していく、といったようにゲームでも動画制作でも、一人ひとりの好きなことを見出して、それを軸に包括的にプログラムが構成されないものか、と思う。

 大人になってから、の継続教育もいまは大きな穴がある。就職に失敗したら、バイトや派遣で生活しているうちに中高年になって、というのを放任していいとは思えない。カウンセラーなりが、本人の適性や将来を見通して適切な職業訓練プログラムを斡旋・支援して、再就職の機会を広げて、という仕組みが欠かせない。一方、正社員になったはいいが、日々、仕事をこなしているだけで伸びを失って終わるのもまずい。大学院で新たな専門性を身に着ける、あるいは、長期のインターンシップと講義との組み合わせで新たなキャリアに進む、というのも必要だろう。

 このように考えると、さまざまなプログラムの開発、カウンセラーおよびチューターの確保と養成、産学連携プログラムの開発、運営体制の整備など、着手すべき、でもいまは手つかずのような課題が浮かび上がってくる。そしてこうした制度を確立させて運営する主体は、地方自治体ではなかろうか。