功利主義

 ベンサムが主張した功利主義は、快楽や幸福をもたらす行為が善である、としてこれを道徳の基本とした。そして個々人の幸福を集計できるものとして、最大多数の最大幸福を社会の構成原理として、政策や行為の評価指標においた。この考え方は大きな影響力を持ち、効用はミクロ経済学の基本概念に据えられ、限界効用や効用最大化といった理論に展開された。ピーター・シンガーら現代の哲学者もこの功利主義を基本に、安楽死の妥当性や動物実験の倫理的問題を論じている。

現代社会への影響

 現実の世界でも功利主義は深く浸透し、個々人が欲望を追求し、それに企業が財やサービスを供給することで応えることで、社会全体の厚生が向上するはず、という信念が多くの人々に共有されている。

 貧困問題でも、援助する者の損失が、援助されるものの効用を上回る限り、援助すべきだという議論がされるぐらいだ。

自由、人権

 しかし、この功利主義はそこまで普遍性はあるのだろうか?

 この問いに、アマルティア・センは言う。「自由の重要性は、我々自身の権利や自由を主張するだけでなく、他者の自由や権利に関心を持つための根本的な理由であり、功利主義者が専念する快楽や欲望充足をさらに超えるものである」。

 自由や人権、それらと表裏一体の他者への配慮が社会の構成原理であり、功利主義はその枠の中に収められるものなのだ。こうして人間の安全保障、潜在能力アプローチが、社会の構成原理として功利主義に取って代わる。

 

 よくグローバルエコノミーを増長させる新自由主義や市場原理主義がいかん、といって批判される。しかし、以上の議論から分かるように、批判されるべきは、決して自由や市場ではなくて、この功利主義である。