公正にもいろいろレベルがありそうだ。企業活動を題材にして、公正のレベルを調べてみよう。

 公正を他者への配慮として捉えると、顧客本位で日々創意工夫を重ねている会社は公正と言える。でも目先の利益を追求して、手抜きや捏造に走る会社は不正だろう。また汚染水を垂れ流す、超高層をどんどん建てる、といった外部不経済を与えながらその社会的費用を負担しない企業もまさに不正である。

 公正に対称性の意味を持たせるとどうだろうか。まず企業間の対称性を検討する。個々の企業は差別化戦略をとるものなので、入れ替えは効かなくなので公正ではない。独占的立場を利用して競合に不利益を与える、あるいは、レントシーキングに走る、という場合も対称性はなく、一層、公正ではない。一方、コモディディで誰もが同じ生産能力である完全競争の場合は、対称性があるので公正といえる。市場の発展を図り、自社で蓄積した技術情報やノウハウを公開して、オープンシステムで臨む会社も公正だ。

 企業と顧客の間の対称性ではどうだろうか。例えば、ある化学メーカーの社員は、自社の着色剤を用いた食品は決して口にしなかった。このようにある個人が、生産者から一人の消費者に置き換わると行動が変わる、というのでは対称性がなく、不公正ということになる。医療過誤事件のように、医療側がなかなか情報を開示しない、という姿勢も対称性に欠いて不公正である。

 こんな感じで、差別化戦略をとる以上、企業は完全に公正ではないのだが、公正から著しい不正までさまざまなレベルがあることが分かる。その意味で、公正取引委員会の扱う公正は狭義なのだろう。さらに言えば、公正を、分配の公正と手続きの公正ぐらいに矮小化すべきではないとも思われる。