社会が滅びる状態を考えてみた。これはコモンズが長期持続する条件を逆にすれば、浮かび上がってくる。

 まず、社会と環境との間で恒常性が保てなくなってくることが挙げられる。社会が健全なうちは、社会または環境に変動があっても、それが発散せずに収束する。都市でいえば、薪や炭を賄うために周辺の森林を伐採しつくしたため、頻繁に洪水が起こって冠水して伝染病が蔓延するような状態が思い浮かぶ。最近では高層化によるヒートアイランド現象がそうだろう。社会が再生産しなくなるのも含まれる。

 そのひとつの要因であるが、社会規範からの逸脱が顕著になった場合だ。社会規範は、各成員が環境に働きかける行動を制御するのだが、この制御が効かなくなる。逸脱を容認される特権階級ができる、逸脱行為の監視ないし取り締まりが恣意的で散漫になる、環境にそぐわない社会規範が増殖する、といった状況である。法治ではなく人治というかたちだ。

 さらに逸脱の要因になるのだが、社会規範を成立させる、という潜在能力を育む機会が、十分に与えられない成員が少なくない状態だ。こうした成員たちが小集団として固定化されるのは更にまずい。構造的な暴力とも言われるが、万人の自主自立のための社会規範が、一握りの集団が大多数を抑圧・収奪する手段に変質してしまう。パンとサーカスのように、現状逃避の幻のような社会イメージを抱かされることも。

 以上のようにして、社会が崩壊する。