その昔、ある企業集団が共有すべき価値観などを、各国の憲法を参考にして条文にしてまとめたことがある。リーダーの方々からこれを尊重して、行動様式まで変えていかれたのには感服した。

 そんな訳で、日本国憲法についてもじっくり読み込んでみたいと思って、高橋和之「立憲主義と日本国憲法」などを手に取ってみたりしたが、さまざまな政治思想や学説の吟味に感心しているが眠くなったりもした。これとは別のテキスト本位、つまり憲法の条文を、ユークリッド幾何学のように公理とそれから演繹される命題といった形で無矛盾で自己完結した体系としてとらえるアプローチができないものかと思っていた。でも自分でやるには手ごわすぎる。

 そこで目を引いたのが、秋葉忠利「数学書として憲法を読む」。秋葉氏は前広島市長、もともとは数学者であのミルナーの弟子なので期待できそう。読んでみたら、ばっちり公理論による憲法解釈で、数学的な考え方の応用例としても素晴らしかった。

 まず、憲法の中で改正不可条項を見出す。永久に、不断の、永遠に、全て、国民の総意、といった時間軸にも対象にも無限定とされる条項で、これらが改正不可条項で自己保存力を備え、公理を為すと捉える。基本的人権は侵すことのできない永久の権利、永久に戦力を放棄する、公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する、といった条項である。憲法96条に改憲の手続きが明記されているものの、改憲が認められるなら「永久に」「絶対に」「国民の総意により」といった表現と矛盾することになる。なので無矛盾則に従えば、これらの条文は改正不可条項で、改憲の対象にはならない、とされる。

 したがって憲法9条の条文を変更する、あるいは解釈を緩める、というのはそもそも違憲となる。自衛権を持ち出す議論も、憲法の体系外に根拠を求めるのも、自己完結性に反するので論外。こうした命題がしっかりと論証される。

 また、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」については、一見、公共の福祉に反しない限り、という表現は限定を与え、矛盾を含むように思われる。でも公理系としての無矛盾性が成り立つように、この「公共の福祉」という概念を解釈すると、無謀運転で個人の生命を奪わない、といったように個人個人の基本的人権と表裏一体であると考えられる。したがって公権力が公共の福祉を掲げて基本的人権を縛る、という解釈は間違いで、基本的人権と公共の福祉とが一体で公権力を制限する、というのが妥当であると言える。そして基本的人権こそは憲法全体で守ろうとしているものだから、公共の福祉とは憲法の総体に同じという結論が得られる。要するに、公共の福祉に反しない限り、とは、憲法に反しない限り、ということになる。こうして基本的人権の絶対性と、憲法の無矛盾性とが成り立つ解釈に至る。自民党の改憲草案では、公権力が公益に基づいて基本的人権を制約する、となっているが、これは根本的な誤りなのだ。

 下手な要約なのだが、こんな要領で憲法を筋道立てて解釈していく。死刑は違憲、天皇は憲法の象徴、といった議論も、公理から証明される定理として鮮やかに導かれる。この「数学書として憲法を読む」、多くの人に読んで欲しいな。