ローマ法では死刑はなかったそうだ。
考え方として
- 内心の自由は何人も犯すことができない
- 罪は物的な世界において身体の作用で生じたものだ。だから罰も身体の拘束等になる
- 民主的な裁判では物的な証拠と論理整合性に依るもので、心的な動機などは問わない
- 一方、死刑は身体を滅ぼし、そこで終わらずに心をも失わせるもので行き過ぎである
- だから死刑はなく、多額の保釈金を積めば拘束を逃れ、この都市から離れたら身体も不在になるので、その先は不問になる
といったものだそうだ。したがって、自由を尊重した民主制の都市では死刑はない。心的な動機や反省、謝罪の意志などを問うのは、宗教的であって教祖の推断による世界観であるとされる。
死刑制度の是非が問われるが、内心の自由と物的証拠、論理整合性を尊重する立場からは廃止が望ましいと結論される。なるほど。