5年前、ABC予想が証明されたと話題になった。その解決を含む、全く新しい数学の枠組みが、望月新一氏の宇宙際タイヒミュラー理論だった。かつての相対性理論について、本当に理解している人は3人しかいない、という状況だったが、この宇宙際タイヒミュラー理論も同様らしい。22世紀の数学なんだろう。

別々のユニバース

 分からないなりに分かろうとしてみる。宇宙というのは、圏論でいうユニバースである。一般的な集合の演算がその中で行えて、自分自身を含むことのない性質を持つ集合、という考え方で、すべての集合はなんらかのユニバースに属する、という公理もある。

 宇宙際タイヒミュラー理論の解説によると、要するに足し算の構造と掛け算の構造は別々だが複雑に絡み合っていて、そのためにABC予想のように足し算と掛け算とが絡まる問題は難問になるという。このことを行列で当てはめると少しわかってきそうだ。行列は、一般にm行n列として表される。足し算、つまり加法構造では、同じm行n列同士なら閉じているし、結合律も成り立つ。要素がすべて0のm行n列行列が単位元になる。したがってこれは圏となり、加法のユニバースとして拡大できる。一方、掛け算、つまり乗法構造では様相が違う。m行n列同士では乗法は成り立たない。i行m列の行列と、m行n列の行列なら乗法は成り立ち、l行n列の行列になる。結合律は成り立つ。m行n列の行列について右単位元はn行n列、左単位元はm行m列となる。したがってこれらは圏になり、乗法のユニバースとして拡大できる。このように行列については、加法のユニバースと乗法のユニバースは別々であることが分かる。

宇宙際

 この二つのユニバースを行き来することを考える。このとき加法のユニバースのm行n列行列を、n行n列に縮約する。このとき、m>nなら(m-n)行n列分の情報が漏れ落ちる。このn行n列の行列なら、乗法のユニバースでも成り立つ。この逆の操作で、乗法のユニバースのm行n列の行列を、n行n列に縮約するすれば、情報は漏れ落ちるけれど加法のユニバースに移すことができる。このように考えると、宇宙際、つまりユニバースとユニバースの間で、情報が漏れ落ちるながらも行き来するイメージがつかめる。

 そして加法の圏のn行n列の行列を、乗法の圏のn行n列の行列に変換する関手を考える。その逆でも同様である。この関手もn行n列の行列で表される。そしてある関手から別の関手への変換も、ある関手の行列式が0でなければ、n行n列の行列の乗法で表現される。この行列式が0ということは、元のユニバースで縮約されることと一貫している。単位元もあるので、この関手も圏として構成される。この関手の圏は、対角化、スペクトル分解や正規性などを検討することができる。そして足し算の世界は、固有ベクトルを正の整数倍の固有値で掛けたものとした掛け算の世界に組み込まれる。

回り道

 こうした道具立てから数論に迫れるのは、おそらく、楕円曲線はその係数を行列として表示できる、楕円関数の有理点を調べることがさまざまな数論の定理や予想につながる、n行n列の行列の成分が実数であれば転置行列は随伴行列と同値である、といった筋道があるからだろう。そして楕円曲線の対称性が保存量になるらしい。整数を、いったん線形代数に拡張して、加法のユニバースと乗法のユニバースに分け、そしてそれらの関手の圏を分析することで捉えなおす、急がば回れということかな。

 

 超大雑把ではあるがこんな風に考えれば、宇宙際タイヒミュラー理論も分からないなりに分かることができそうだ。本当は自分で原論文を理解することができたらいいんだけれど、今世紀中は無理そう。教訓。誰が挑んでも解けなかったような難問は、直接にアプローチするのではなくて、回り道だけれど別の論理構造を構成してそこから元に戻るというアプローチが有効だという例。ナッシュのアプローチもそうだったらしい。