公理としての五原則

 コルビュジエが提唱したという近代建築の五原則は、

1.ピロティ

2.屋上庭園

3.自由な平面

4.水平連続窓

5.自由な立面

と言われる。

 重力に対して建物を支える方法として、近代以前のレンガによる組積造から、鉄とコンクリートとガラスによるラーメン構造(ジャングルジム状)に転換した、という技術革新がこの五原則成立の背景にある。

 そしてこの五原則は、この構造転換に対応した建築類型と都市構造を導く、いわば公理系として構想されたのでは、と考えている。コルビュジエが、直接的にヒルベルトの影響を受けたのかは確かめたいところだが。

公理の論理的な展開

 いくつかの公理から厳密な推論形式によって体系全体を構成する。コルビュジエ自身は、この五原則にもとづく建築類型として、戸建て(サヴォア邸)とアパート(ユニテ・ダヴィタシオン)、オフィスビル(国連ビル原案)を設計した。自分でゲームのルールをつくって、自分でプレイパターン(将棋で言えば定跡)をやってみせたというわけだ。

 さらにその先に、この公理系から完全な体系を生み出すものとして、都市構造を構成する。五原則とそれに基づく建築類型は、いわば万能細胞なので、コルビュジエはおそらく機能分化の考え方を持ち込んだと思われる。自由な平面・立面という万能細胞から、消化器系、生殖器系、脳神経系、運動器系といった具合に、近代都市にも機能分化が必須だと考えたのだろう。業務系(摂食のための場)、住居系(生殖の場)、文化宗教系(精神活動の場)、交通系(移動の場)といったように器官と計画区域とを対応させ、ゾーニングを具体化していく。交通系として自動車のために縦横に走る道路が、都市の基本骨格になる。ピロティは道路と建物のつなぎとして機能するし、屋上庭園は公道に干渉されない私的な外部空間をもたらす。水平連続窓は、前面を走る自動車の速度に対応する。このようにして五原則は、自動車主体の機能分化という都市の構成原理に埋め込みされる。公理から論理演算を重ねることで都市という生活世界全体が制作されたわけだ。

別の公理系に

 それからもう一世紀近く経過した。五原則は単純明快なので、かつての大工仕事のような暗黙知とその口伝伝承を必ずしも必要としないから、言葉や文化の違いと問わずに世界中に広まるのも早かった。

 東京では、この公理系の劣化バージョンが一層増殖している。ピロティや屋上庭園、公園がなかったり、設計思考の密度が希薄だったり。そして公理から展開された都市構造は、通風阻害や輻射熱によって温熱環境を悪化させるとともに、徒歩中心の生活圏を損ない、いろいろな人同士の自然なつながりをを分断していった。欧米では半世紀前から、こうした車本位の計画都市ではなく、人間のための都市を生み出そうとする動きが定着している。

 21世紀。テクノロジーの発展によって、温熱環境や風環境、日商環境、移動履歴、さらには官能評価まで精細に分析できるようになった。構造解析やモデリングによって、ラーメン構造の直方体でなくても成立する。非ユークリッド幾何学みたいな建築空間も生まれる。そして経済成長と長寿化によって、生活に追われる状態から、生活を楽しむ状態になった。若年層から車離れも進んでいる。

 五原則とは対照的な市民本位の公理系を構成し、都市建築法制も抜本的に転換していくべき段階なんだろう。