書店に「不安な個人、立ちすくむ国家」が平積みされていた。経済産業省の若手有志がまとめた話題の未来への提言書、との宣伝文句である。でもその中身を見ると、問題解決能力の習熟不足をひしひし感じさせる。

問題解決の基本

 問題解決では、適切な枠組みで問題を定義し、問題の本質を分析で突きとめ、系統立てて解決代替案を導くこと、そして解決策が自分の立場や強みが生かせることが基本中の基本である。

 でもこの資料では、こうした基本がおろそかにされている。少し詳しく見てみよう。

問題解決能力の不足

 問題としては、高齢者の幸福感や子どもの貧困などを取り上げて、世代間負担の不公平がシルバー民主主義では解消されないことなどを議論している。でも、こうしたありきたりの問題の定義では、新しく提案する意味はない。例えば、世代間の不公平を議論するなら、資産格差に注目すべきだった。そうすれば資本化仮説から固定資産税正常化の解決案に繋げられたはずだ。

 また問題を定義する上では、全体観を備えた知的な枠組みが欠かせない。政策にとっては、効率と公平といった経済学の枠組みが有効だろう。しかしこの資料では、成長(効率)と分配(公平)のうち、「成長しても幸せにならない」として成長課題をごっそり落としている。日本経済の成長を妨げているのは、不合理な規制や許認可、そして統制経済型の政策なのだという認識が当事者なのに欠けている。それなのに厚労省の分野ばかり議論しているのもおかしなことだ。

 問題の本質を捉えるには、一次情報に基づくオリジナルな分析が生きる。しかし、有識者のヒアリングでは二次以上の情報でしかないし、この資料の分析はコピー&ペーストばかりだ。大胆な仮説を独創的な分析で証明した、というものには程遠い。

 問題の本質が掴めていないから解決策も陳腐だし、解決策も体系化されていない。だから社会保障をベーシックインカムに集約する、年金・保険を賦課方式から積立方式に転換する、といった本筋の案も欠けてしまうのだろう。そして問題や解決策にしてももっぱら厚労省のフィールドで、自分たちの立場や強みとは離れている。

組織スキル

 昔のソ連のジョークで、クレムリンで「フルシチョフは馬鹿だ」と叫んだら、国家機密漏洩罪で20年の禁固刑を受けたというのがあった。今回のこの提案書は、経済産業省の若手官僚は問題解決能力が不足している、というある意味で日本の国家機密を明らかにした。経済学やその基本的な枠組みへの理解も欠けている。貿易等の交渉でも相手に足元を見られるかもしれない。政治家が愚かでも優秀な官僚が支えている、という人々の漠然とした思い込みは打ち砕かれた。

 経産省には優れた方々も少なくなかったのだが、それはどうも個人スキルだったのだろう。窺えるのは官庁の内部では、せっかく優秀な人材を採用しても、こうした問題解決能力を組織スキルとして体得する仕組みが欠けている点だ。問題解決能力が不足したまま、エネルギーをはじめとする産業政策や、産業革新機構などの現業に当たったら、それはうまくいかない。理論や分析の裏付けがなければ、政治的圧力に対抗できずに歪む。神宮の森の樹種選定で、大隈重信の杉案を本多静六博士が科学的な分析で退けた例とは対照的だ。

 こうした若手官僚に問題解決能力の習熟を求めるなら、民間から問題解決能力に長けた鬼軍曹を起用して、その厳しい指導の下でテーマ毎に検討プロジェクトを仕上げることが望ましい。そしてより根本的で切迫した問題については、民間から問題解決能力に長けた人々を集めて特別チームを編成した方がいい。しがらみもないので、不合理な規制や許認可、組織もばっさり整理できるだろうし。