スピノザ・カント・ウィトゲンシュタイン | ほうしの部屋

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 スピノザ、カント、ウィトゲンシュタインは、世紀が離れた、各時代を代表する哲学者ですが、私が読んできた分では、同じようなこと(似たようなこと)に目を付けて、同じような(似たような)見解に至っているように思えます。
 それは「形而上学」あるいは「神」を巡る扱い方の共通性や相似性です。
 形而上学とは、長らく哲学の根本問題として哲学の頂点に置かれていました。物事の本質や理想像、理念、道徳、倫理、存在、神を巡る考察などを含む、要するに、現実の経験から離れた思考対象を扱うものです。現実を経験的に扱う自然科学を「形而下」の学問とすると、形而上学は経験を超えた思考ということになります。もともと、形而上学(メタフィジクス)は、アリストテレスが、書棚の分類で、自然科学(フィジクス)より上位に置いた書物に書かれていたものを指します。フィジクスよりも上に来るからメタフィジクスというわけです。
 形而上学というと小難しく聞こえるから、ここでは、もっと絞り込んで単純化して「神などについての扱い」としても良いでしょう。
 この形而上学(神などについて扱うもの)に対して、スピノザ、カント、ウィトゲンシュタインの態度は、驚くほど似ているのです。
 
 スピノザは17世紀のオランダで活躍した哲学者です。とはいえ、哲学が本業ではなく、レンズ磨きの職人(達人)として生計を立てていました。それでも、スピノザが本を出すたびに、オランダでは大論争が起きました。
 スピノザは一種の汎神論者としての側面があり、「一つにして全体である神」「あらゆるものに神は宿る」といった認識の持ち主でもありました。私はマルクス主義者であり、無神論者で無宗教者ですが、スピノザの汎神論には、共感できる面もあります。仏教にも「一木一草悉皆成仏」という言葉があるように、自然界の精緻なメカニズムや美しさを見ると、いくら自然科学が進歩して解明が進んでいるとはいえ、自然界の「神秘」といったイメージは、それこそ自然にわいてきます。もちろん、ダーウィンやラマルクの進化論(突然変異と自然淘汰の連鎖)によって、自然界のメカニズムは完璧に説明できます。それでも、自然淘汰の結果とはいえ、その産物の精緻さや美しさには感覚的に、神が宿っているような神秘性を抱いてしまいます。むしろ、自然界に神秘性(不思議)を感じるからこそ、自然科学者たちはこぞってそのメカニズムの解明に乗り出すのでしょう。スピノザ的な「自然界のあらゆるものに神が宿る」といった汎神論的イメージは、自然科学が進歩する駆動力になっているとも言えるでしょう。
 とはいえ、ここで問題にしたいのは、スピノザの汎神論ではなく、スピノザが主に『神学・政治論』で述べていることです。それは「宗教と哲学は共存できるか」という問いかけです。スピノザが活躍した頃のオランダでは、宗教(信仰)を巡る対立が政争の具にまでなり、各地で紛争や死闘が絶えませんでした。宗教を重んじる勢力と宗教よりも実学(商売や世俗権力につながる)を重んじる勢力との争いは激しいものでした。自然科学が勃興してきた時期でもあり、それを後ろ盾にした新しい哲学が、伝統的な宗教と対立した時代でもありました。そこで、スピノザは、人々の騒乱の種になりがちな、宗教と哲学の共存あるいは棲み分けができないものかと考えました。
 そうしてスピノザが導き出した答えは「哲学は真理を探究することに存在価値がある。宗教(信仰)はそれを信じる人が敬虔であることによって存在価値を持つ」というもので、哲学は真理の探究、宗教は(真理を伝えるかどうかは問題ではなく)敬虔な信仰として、各々に存在価値(役割)があり、共存できると主張しました。
 これは、哲学と宗教に線引きをすることで、その基準は「理性による分析、判断」と「理性を超えた信念」との区別にありました。哲学は自然科学の基礎として理性的な分析力と判断力に支えられ、宗教は理性では扱いきれないものへの信じる心によって支えられるという区別です。
 この棲み分け理論によって、スピノザは、まだ未分化ではありますが、哲学に形而下の役割を与え、宗教を形而上学の権化として分離したとも言えます。つまり「哲学が神について考えるような形而上学を扱っても意味がない」と考えたと言えます。
 スピノザは、哲学から形而上学(神などについて扱うもの)を引き離したのです。それが哲学の生き残る道だと考えたのです。実際、このスピノザの定義のおかげで、私のような無神論者は、神の存在の有無といった余計なことに目を向けずにも哲学的思索を行うことができます。
 
 カントは、18~19世紀に、ポーランド北部の東プロイセン(ドイツ領)のケーニヒスベルクに一生引きこもっていた哲学者です。相変わらず王権神授説(神に授けられた王の権力)を振りかざすような自国(ドイツ)の君主に辟易させられつつ、フランス革命を起こした啓蒙主義による理性崇拝が、結果的にジャコバン党(ロベスピエールなど)による恐怖政治(ギロチン政治)を招いたことにも危機感を抱いていました。そこで、理性というものを再検討する知的重労働に挑んだのです。
 カントは『純粋理性批判』において、物事の認識における理性の限界を分析しました。人間の認識は、感性(知覚)→悟性(判断)→理性(推論)という過程で成立します。感性→悟性のプロセスは、ほとんど自然科学の方法論に重なるとカントは考えました。そこから逸脱するのが、悟性→理性のプロセスで、特に、理性というものは、現実には存在しないか証明不可能なことまでも勝手に想像(妄想)して、余計なことを導き出す、そこが形而上学(神について考えることも含む)の源泉だと指摘しました。
 この、自分勝手に妄想的なことまで生み出す理性の働きをカントは徹底的に批判しました。有名なアンチノミー(二律背反)の難解な分析を通して、理性が、現実経験を超えるようなものを生み出したり主張するのは無意味だと結論づけました。つまり、例えば、神が存在するか否かといった問題は、経験からは証明不可能であり、「神は存在する」「神は存在しない」という主張はいずれも無意味だと考えました。すなわち、形而上学の不可能性、無意味性を明らかにしたのです。少なくとも、物事の認識において、神がいるかどうかとか、世界に限界はあるのかどうかとかについて、ウダウダ語るような形而上学は、理性が暴走して生み出した妄想であり、無意味なのです。こうして、哲学の認識論(物事を認識するプロセス)において、カントは形而上学を排除しました。
 とはいえ、カントは宗教を否定したり無神論に走ったわけではありません。物事の認識について哲学が扱う理性では、神の存在などについての形而上学的な思考は無意味だと言っただけです。
 カントは「神(宗教)は存在するのではなく多くの人間の必要によって要請される」といった意味の考え方をしたのです。それは『純粋理性批判』の後半部分や『実践理性批判』の中に出てきます。
 カントは、これまた形而上学的なものである「道徳」を重視しました。とはいえ、認識において、道徳の必要性や必然性や根拠は証明できません。道徳はただ「かくあるべし」「これこれこのように善く生きるべし」という命令形で人間に降りかかってくるだけです。その道徳に従うか否かを理性によって判断することはできません。道徳は形而上学的なものだからです。ではどうするか。
 そこでカントは、人間の自由を考えました。人間には道徳に従う(善く生きる)かどうかを選ぶ自由がある。とはいえ、ほとんどの人は道徳を守り、無道徳で混乱した社会を嫌がる。それは、道徳に従うことが、神のような絶対的超越的存在の意思に沿うことだからだ、とカントは考えました。人間は自由意思によって、神の願いに沿うような善い生き方を選ぶ、つまり道徳的に生きるようにできているというわけです。人間が自由意思によって「道徳的に生きる(善く生きる)」ために「神(超越的存在)が要請される」という論理になるのです。これを基礎として、カントは様々な定言命法を生み出しました。ようするに「道徳的にふるまう(善く生きる)ためには、こうしなさい」というリストを作ったわけです。
 このように、カントは、少なくとも現実認識のレベルでは、理性によって形而上学的なもの(神についてなど)を考えるのは無意味だと指摘しました。つまり、哲学(の中の認識論)において、形而上学(神)を排除したのです。しかし、神を否定したわけではありません。道徳哲学(善く生きるための哲学)において、理性が道徳を選ぶための担保として神は要請される(必要とされる)と考えたのです。
 カントの考え方も、理性の限界を定めることにより、やはり、哲学における形而上学(神などについて扱うもの)との棲み分け方を引き出したと言えるでしょう。
 
 ウィトゲンシュタインは、20世紀最高かつ最後の哲学者です。オーストリアの大富豪の家に生まれながら遺産相続を放棄し、主にイギリスで分析哲学の分野で画期的な仕事を残しました。分析哲学とは、フレーゲやラッセルが切り開いた、論理学を通して言語の働きを分析する学問です。言っておきますが、言語(言葉)とは論理的なものです。言語は論理です。いくらメチャクチャで支離滅裂な文章を書いたとしても、それが支離滅裂だと判断できるのは、言語が論理に支えられているからです。言語から論理を引き離すことはできません。
 ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』において、言語を支える論理の限界を指摘し、言語の限界を定めました。論理の限界、言語の限界とは、すなわち(言語によって成り立つ)哲学そのものの限界です。長い間、哲学はあらゆる学問の頂点にあり、あらゆることの根本を成すと考えられてきましたが、ウィトゲンシュタインはそれを否定したのです。
 ウィトゲンシュタインが哲学の限界として示したのも、やはり形而上学(神などについて扱うもの)との線引きでした。言語によって言い表せることは、およそ論理的であり、その論理が扱えるものに限界がある以上、言語によって言い表せるものにも限界があると考えました。言語すなわち論理によって扱うことが無意味なもの、それが形而上学(神などについて扱うもの)です。言語すなわち論理を用いる哲学が扱えるのは、ほぼ自然科学が扱えるものと重なり、それを超えるような形而上学を、言語すなわち論理によってまともに表現することはできないのです。言語によって表現できない、つまり「語りえないもの」が形而上学(神などについて扱うもの)であり、そんなものを無理に考えようとするから哲学はドツボにはまるのであり、それは無意味だからやめなさいとウィトゲンシュタインは指摘しました。これが有名な「語りえないものについては沈黙しなければならない」という命題に象徴される考え方です。
 このように哲学から形而上学(神などについて扱うもの)を排除する『論理哲学論考』は、当初、無神論や科学主義を強調する本として受けとめられ、論理実証主義など、科学の考え方しか哲学では通用しないと考える人々(ウィーン学派など)を熱狂させました。しかし、これは大きな誤解です。
 ウィトゲンシュタインはたしかに、形而上学的なもの(神などについて扱うもの)は「語りえない」から哲学では無意味だと言いました。しかし同時にそれは「ただ示されるのみだ」と言っています。つまり「語りえないが示される」ものが形而上学(神などについて扱うもの)なのです。そして、その重要性を認めていたがゆえにこそ「沈黙せよ」と命じたのです。
 ウィトゲンシュタインは、形而上学、もっと言えば、宗教や神学さらには芸術などは、哲学などが言葉を弄してああだこうだと語るようなものではなく、ただ示されただけのものを、受けとめたい人は受けとめなさいと言いたかったのです。
 これもまた、哲学と形而上学の分離、哲学と宗教(神学)との棲み分けの提唱と言えます。
 ウィトゲンシュタインは、論理学や分析哲学ではフレーゲやラッセルを踏んでいますが、草稿などから、トルストイとショーペンハウエルからも強く影響を受けていることが明らかにされています。トルストイからは、(哲学では扱いきれない)神学や宗教の重要性(人生にもたらす意義)をくみ取り、ショーペンハウエルを通して、スピノザやカントの宗教観や形而上学の扱い方に触れていた形跡があります。
 
 哲学は他の学問と同様に、いきなり新説が出現するのでなく「先人の功績をふまえて徐々に考えが進む」ものです。そういう観点からは当然とは言えますが、上述してきたように、スピノザ、カント、ウィトゲンシュタインには、非常に似通った考え方があります。つまり、哲学から形而上学(神などについて扱うもの)を分離すること、哲学と宗教(神学)との棲み分けを図ることです。
 これは哲学の限界と言うよりも、神(形而上学)などを巡ってウダウダとムダなことを語る手間をはぶいて、哲学が現実認識と手をたずさえて思考を深め、提言を導き出すことに役立つことだと、私は思っています。