7月8日 土曜日 5:00起床 6:30散歩
この日はパレスチナ人のガイドさんにパレスチナ難民キャンプ内を案内してもらう約束。その前にホテルの周りを散歩。
高い壁がそびえ立つ。
お母さん犬。日本始め先進国では見かけなくなった野良犬。
野良にゃん。
この壁について、日本人は全く知識がない、または興味がない人が多い。「パレスチナ人テロリストから身を守るため」と思っている人もいる。
この壁は、イスラエルがパレスチナの土地に勝手に(国際法違反であることは周知の事実)植民地を作り、境界としてパレスチナ人が入れないように作っているもの。壁の向こうに行くためには「チェックポイント」と言う検問所を通らなければならない。パレスチナ人はグリーンとブルーのIDを持たされ、壁の向こうに行くにはそれをチェックポイントにいる兵士に見せて通行の許可をもらう。
「昔はあちら側にも僕たちは自由に行けたのに、今は行けないんだ。壁の向こう側へ行けないんだ」と言う。
ホテルに戻る途中、パパパパパパ!という自動小銃やパーン!パーン!という銃声が聞こえた。難民キャンプの方向だ。
日本にいる限り、テレビや映画でしか聞くことがない音。
それらの音は遠くの方から聞こえてきたのと、周りの人たちが気にも留めていなかったので、私も恐怖などは感じなかった。
ホテルに戻り、バンクシーが手掛けたアートを見て回る。
右側に見える本棚が、客室エリアへの扉になっている。その横にある小さなビーナス像に鍵をかざすとロック解除となり、本棚を押して中へ入ることができる。映画に出てくるお城の中の隠し部屋への入り口みたいで、ワクワクする瞬間だ。
ちなみに、これが秘密の通路への扉(前回のブログ参照)の鍵と部屋の鍵。
このビーナス像の胸の部分に鍵を近づけると、本棚の扉が開く。
開業時、エルトンジョンが来て演奏したというピアノ。今は生演奏の機会もなく、時々お客さんが弾く程度という。自動演奏が流れていた。
有名な花束を持った男。平和へのメッセージ。
鉄格子に入れられたのはパレスチナの人々。
朝食をいただく。右下の丸いペーストはひよこ豆のペースト「フムス」。丸い揚げ物がファラフェル。結構な大きさのパンだが、1日何も食べないかもしれないことを想定して全部平らげる。
朝食を終え、10時から地元のガイドさんによる難民キャンプツアーに参加。ガイドさんの名前はYamen(ヤーメン)。参加したのは私と、同じ日程で宿泊していたインド人女性のヴァイス。彼女も一人旅だった。
壁の周りを歩きながら、イスラエル・パレスチナの簡単な歴史、なぜ壁が建設されたか、今どういう状況か、ヤーメンが説明してくれた。
イタリアのアーティスト、ジョリット・アゴチらによるアヘド・タタミさんの壁画
歩きながら、ヤーメンに今朝聞いた銃声のことを尋ねてみた。
「ああ、イスラエルは新兵の訓練をパレスチナ領の中でやるんだよ。その音だ」とヤーメンは言った。そういうことが日常であり、ここの人たちはもう慣れてしまっているんだろう。
何があっても生活をしていかなくてはいけない。壁があろうが関所があろうが、いつもイスラエル兵に監視されていようが、生きている限り状況と折り合いをつけ楽しく暮らさねばならない。人間の逞しさを感じる。
壁のこちら側(パレスチナ側)に壁の上の監視室からイスラエル兵士が捨てるゴミ。
このペットボトルの中身はの見掛けのジュースではなく、イスラエル兵士の「尿」。
ヤーメンは「イスラエルはパレスチナ人を人間として見ていない。せめて人間として扱ってほしいというのが我々パレスチナ人の願いだ」と言う。
これが監視塔。12時間交代でイスラエル兵が監視している。
Aida難民キャンプへの入り口には大きなカギがある。これは1948年にパレスチナ人が失った家を象徴するもの。
手前には国連の難民キャンプへの物資を保管する建物がある。
後ろを振り返ると、まっすぐ伸びた道の突き当りはイスラエルが建設した壁の大きな「観音開きの扉」が見える。
難民キャンプの入り口の真正面に大きな扉があるのは、難民キャンプで不穏な動きがあった場合にあの扉が開き、キャンプに向かってイスラエルが一斉砲撃を行うためだという。
実際に、この私が今撮影している場所から扉に向かって小石を投げた(数十メートル離れた扉にとどくはずもないのだが)13歳の少年にイスラエル兵が発砲し、少年は亡くなった。非難されたイスラエル側の説明は「間違えて撃ってしまった」だったそうだ。「イスラエルはいつも『間違えて行ってしまった』と弁明するんだよ」とヤーメンは言った。
難民キャンプの中。一応建物は建てられているものの、入り組んだ狭い路地、部屋は狭く、水道は当初「イスラエルが供給する」と言う約束だったのが、いつの間にか「イスラエルから購入」せざるを得ない事態になっているという。
この方が説明してくれた教育施設の男性。大学などで教鞭を取っている。
入り組んだ狭い路地。
イスラエル兵によって殺された子供たちの肖像や名前がそこらじゅうに。この子たちを忘れないために。
難民キャンプの入口(出口?)にKey of Returnと言う店がある。ここでは、パレスチナ人へ向けて発砲された催涙弾などのキャニスターを拾ってきて、アクセサリーや飾り物などを作って販売している。
お土産物の一つ。
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難民キャンプツアー終了。ヤーメン、Rさん、そして私。
さて、昨日の夢のような素敵なお部屋は1泊限り。今日はドミトリータイプに宿泊するために荷物をお引越し。実はRさんは私と逆で、昨日はドミトリータイプに泊ったので今日は高級なほうのお部屋に泊るのだそう。高級なお部屋は高いからさすがに2泊はね。。。。
ゲストノートを見ると、同じく2泊するけど1泊は高級ルーム、もう1泊はドミトリーに泊った人が他にもいた。
これがドミトリー。2段ベッドだ。
指定されたベッドは真ん中のベッドだったが、窓際のベッドの下の段に変えてもらった。他に宿泊者はいない。このホテルはアメリカドルで決済したのだが、この円高でドミトリーでも1万円超えた。
部屋の引っ越しも済ませ、今日はキリストが生まれた場所に建てられたという降誕協会(Nativity Church)へ歩いて行くことをホテルのドアマンのThearに話すと、「ガイドがいた方が良いよ。僕の弟がガイドやってるから、教会の前で待ち合わせると良いよ」と言ってくれた。
What's Upの情報を交換して教会の前に着いたら連絡することにしてホテルを出発。
バンクシーのグラフィティが街のあちこちにある。
そういえば、ベツレヘムの街ってゴミが落ちていない。。。
降誕教会は丘の上にある。
歩きながら、私の頭の中ではあるフレーズが何度も何度も再生されていた。
それは「恐れるな、見よ。すべてのために与えられた大きな喜びをあなた方に伝える。今日ベツレヘムの街であなた方のために救い主がお生まれになった」
私はキリスト教系の幼稚園に通っていたのだが、その幼稚園の学芸会で園児たちによる「キリスト降誕」の劇があり、私は背が高いという理由だけで天使に選ばれ、天使のセリフが先ほどの「恐れるな、見よ・・・・・・」だった。
あれから50年以上経ち、初めてベツレヘムを自分は歩いている・・・
この降誕教会とその周りの巡礼路は世界遺産に登録されている。
マーケットが現れた。
教会がある丘の上に到着。徒歩30分のはずが少し迷ったりしたので1時間くらいかかったかもしれない。
あの小さな入り口が教会への入り口。巡礼者が頭を低くしてへりくだった気持ちで入るように、入り口は小さいのだという。
とりあえず、ドアマンのThearに電話をかけようとするも、電波がない!!!
どうしようかとウロウロしていると、降誕教会の前のスイーツの出店あたりにいた男性たちの一人が声をかけてきた。「ガイド必要?」
「いえ、ここで私のガイドと待ち合わせしているので。」と言うと、「そのガイド誰?」としつこい。
「名前は知らないけど、友達の弟さんよ」「その友達の名前は?」「Thearだけど?」「Thearなら知ってるよ!僕は彼のファミリーの一員だから!」
ほんまかいな・・・・パレスチナの人々にとって、どこからどこまでをファミリーと言うのか分からない日本人の私。こういう発言はまず100%信用しない。
「でも、電波がないからThearに電話できないのよ・・・」というと彼は「分かった!こっちについてきて!」と言って走り出した。
その先にはSegafredoがあった。彼は店に入ると店員に「Wi-Fi使わせて!!!!」と言い、私のスマホで店のWi-Fiにつないでしまった。
彼はThearに電話し、何やらアラブ語で話していた。
少しして話は付いたようで、「よし!行こう!!!」とまた降誕教会へ向かった。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ!Thearの弟さんはどうなったの!」
「大丈夫大丈夫。教会の中にいるから。着いてきて!」と言ってスタスタ教会の中へ入っていった。
入り口を内側から見たところ。
そのガイドの名前はSaber。すごいスピードでどんどん歩くSaberに着いていくのが必死。
ところでイエス・キリストは馬小屋の中で生まれたが、ローマ帝国時代のコンスタンティヌス帝の母親であるヘレナが、キリストが生まれたとされる馬小屋の上に建てた教会が降誕教会である。イエス・キリストが降誕と伝承される洞穴を中心として、その上に立てられている聖堂を、ローマ・カトリック(フランシスコ会)、東方正教会、アルメニア使徒教会が区分所有する。2012年に巡礼路と共に世界遺産として登録。
ヨーロッパの教会の内部とは雰囲気が全然違う。
生誕の洞穴への入り口付近は見学待ちの人々でごった返していた。皆が並んでいる脇をSaberが「エクスキューズミー。ちょっと失礼。道を開けて」と言いながら無理やり進んでいく。
私はそのすぐ後ろを必死で着いていった。並んでいる人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、とにかくSaberが先へ先へと進むので着いていくのが精いっぱいだった。
洞穴の突き当りには教会側の人がいたが、Saberがその人に何やら話をつけて(アラビア語だから内容は意味不明)、私を降誕の穴に導いた。彼が教会の人になんと説明して私をファストパスさせてくれたのか。髪色がブルーだったので、どこかのセレブだとか取材だとかなんとか嘘ついて連れて行ってくれたのか。謎であるが、行列に並ぶことなくここまで来られたのはSaberのおかげなんだが、なんとも後味の悪い・・・・
この穴の下がキリストが生まれた場所だと言われている。
クリスチャンではないけど、こんなVIP扱いをしてもらって何もしないわけにはいかないので、お祈りしておいた。そもそもキリスト教は嫌いではないし、よく教会にも行くので、お祈りの仕方は心得ているつもり。するとSaberが「スマホ貸しなよ」と言い、スマホを渡すと記念写真を撮ってくれた。
行列の人々の「なんであの人特別扱いなの?」と言う視線を(たぶん)浴びながら見学するのはなかなか気分が良くない・・・・
お祈りもしたので、早々にその場所を退散。またSaberに着いていった。
Saberは「こちら側はひとりで見学してきなよ。僕はさっきの入り口にいるから」と言って私を開放した。
なんだか、ただSaberに着いて行って穴を見ただけという、ちょっと消化不良な事態に心がついていかなかった。。。
今考えると、ちゃんとガイドされたのか?ただファストトラックで穴を見ただけなのに・・・
Saberが待っているはずの場所に戻ってもSaberの姿はなく・・・
仕方ないので外に出ることにした。
私は教会に入ったときと違って、入り口には行列ができていた。ツアーの人たちかな?
先ほどSaberに声をかけられた通りに面したところにSaberがいた。Saberは「早く見られてよかっただろ?」 と言ったけど、なんだかバタバタで余韻も感じられず「う、うん・・・・」hと二の句が継げなかった。
「これからどうするの?」と聞かれ、エルサレム旧市街へ行くつもりだと告げると、少し離れたところにいたタクシー運転手のAnasを呼び、「彼女がエルサレムまで行きたいらしいのでチェックポイントまで50シェケルで乗せて行ってやってくれよ」と交渉してくれた。交渉金額が安かったんだろうか、Anasは少し渋ったが承諾し、交渉成立。私がタクシーに乗り込もうとしたその時、別の男性が「君、Saberにガイド代を払わないと!」と言ってきた。あ、そうだった。と気づくもSaberがいない!向こうの方を見ると、なんとSaberは別の団体客を引き連れてガイドに行ってしまった。どうしよう・・・
「払いたいんだけど、もう向こうに行っちゃった」
「僕が渡しておくよ」
「は?」
「100シェケルよこしなよ。僕が渡しておくから」
この手の話はまず信用しないことにしているので
「あんた、信用できんの???」とちょっと大きな声で聞いた。すると周りにいた欧米人観光客たちから笑いが聞こえた。
「信用してくれ。今Saberに電話するからさ」と彼はSaberに電話をかけた。
私は彼のスマホを奪い「ね、私あなたに100シェケル払いたいんだけど、あなたいなくなっちゃったから、この人に預けるからね!後でちゃんともらってよ?100シェケル!絶対よ?」と念を押して、その男にガイド代を預けた。
晴れてタクシーに、と思ったその瞬間、出店の主人が「俺も助けてあげただろう?お菓子買ってくれよ」と言い出した。さっきSaberはどこ?って聞いただけじゃんw 仕方ないのでスティック状のお菓子を20シェケルで買う。
何度も言うが、その時はまだ1シェケル20円だと思い込んでいたので、そのお菓子の値段は400円でも高いと思ったが、実際は800円近くしていたわけだ・・・・ガイド代も2000円だと思っていたのに実際は4000円近く払ったわけだ。マヌケ過ぎる・・・・(づづく)










































































