少し前まで家を造るのは、大工さんでした。
あたり間のようですが、本当のことです。
いわゆる棟梁がいろいろな職方をまとめあげ、お客さんから預かったお金でうまく調整しながら家を造りました。
少なくとも30年から40年前までは工務店と呼ばれる人たちが家を建てていたのです。
私の父もそうでした。
日本が成長していくのと歩調を合わせるように、住宅業界も激変してきました。
国策でもあった住宅政策はどんどん需要に供給が追い付かず、住宅を造る担い手として工務店ではなく、住宅
メーカー(ハウスメーカー)という新しいカテゴリーの業態を作り出しましt。
なぜ、ハウスメーカーがここまで大きくなっていったのか?
それは、私が思うのは「信用」です。
「ぜったい潰れない。ぜったい手抜きをしない。商品に間違いがない。」
みな、それぞれ思惑は違うでしょうが、すべての人が住宅に求めるのは、「安全」であり「安心」です。
デザインや材料の良し悪しもあるのでしょうが、この二つに尽きると思います。
そこが、住宅メーカーが選ばれた大きな原因ではないでしょうか。
私の父が現役の頃「背広を着た連中に家など建てられるものか!」と住宅メーカーが今ほど台頭する前にはよく言っていたものです。
父のような小さな工務店でも、有り余るほどの仕事がありました。毎週のよう「建て前」があり、さばききれないほどの仕事があったのです。
同じような現象が大きいところでもあったのでしょう。
そして、大手の資本力にものを言わせて各地に展示場を作り。すぐれたマーケティングと営業マンによりシステム化された住宅メーカーは大きくなって行きました。
工務店はと言えば、残念ながら時流に取り残されたところが大方です。
私の産まれた「東京、深川」は辻ごとに工務店がある地域でした。
職人気質のプライドも半端ではなく、木場を控えて仕事に対する情熱も並々ならぬものがありました。
ありましたと過去形でいうのも私の父は、今でも所属する建築組合では300あった工務店のなかで跡を継ぎ、工務店として成り立っているのは、ほんの一握りだけだからです。
あえて、私が「住宅メーカー」と自分で言うには理由があります。
人々が住宅を購入するには、人生最大の買い物です。
商品としてこれほどの価格のものはそうそうありません。
人柄や価格だけで購入するにも勇気が要ります。
商品とあえて呼ばせてもらいますが、住宅を造る担い手として商品をご提供させていただくには、メーカーとしての誇りと責任が必要だと思ったからです。
年間、限られた着工棟数しかできない「住宅メーカー」ですが、誇りと責任だけはあるつもりです。
営業部も施工部もない住宅メーカーがあっても面白いのではないでしょうか。