最近は、自分はタイムトラベラーなのかと思うほど月日をワープしている感が凄いのですが、いつもどおり、(上)の更新から幾星霜となってしまいました。誰も読んでいないと思いつつ、(上)で終わっていると気持ち悪いので、今さら更新します。

さて、私は昔から腐女子属性濃厚な変態ではありますが、BLならなんでもいいわけではなく、刺さるパターンというのがやはりあるのだな……ということを、ドラマ「おっさんずラブ」を見て、あらためて思いました。
ちょうど「おっさんずラブ」の放送真っ盛りのころ、昔から読んでみようと思いながら機を失していた『夢みるトマト』というマンガを読みましたところ、これが意外にも、わたしのBLランキング上位に飛び込んでくる勢いの面白さでした。
青年誌に連載されていた漫画とあって、いわゆるBL的なスタイリッシュさやキラキラ感は皆無ですが、大島弓子の描くやおい的世界にも通じるような気持ちのよい読後感なのです。

主人公の玉吾は、従妹のとまと、同じく従兄の菜ちゃんと3人、死んだ祖母の家で同居を始めます。
玉吾は、だらしなくてエッチ好きという、極めて普通の男子大学生。1つ年上のとまとは、可愛い容姿の持ち主ながら、過去に誘拐されたことがあり、性的なことに異様に恐怖がある女の子。そして菜ちゃんはゲイ。家事万能、成績優秀というハイスペックな好男子です。
玉吾は彼女がいながらも美しく成長したとまとが気になって仕方ないのですが、とまとはゲイの菜ちゃんに全幅の信頼を置き(但し恋愛感情ではない)、その菜ちゃんは小さいころから玉吾が好き……という三角関係です。
性的にも性格的にもいたってノーマル男子の玉吾は、菜ちゃんがゲイであることを気味悪がり、時には心ない言葉で傷つけてしまいます(まあ、1980年代のお話ですからね)。
しかし、だんだんとその関係に変化が起き、物語の後半、玉吾と菜ちゃんは、一度だけ結ばれることになります。それは、歴代読んできた漫画の“性描写”のなかでも、5本の指に入るくらいの屈指の名シーンでした。単なるセックスではなく、もっと根源的な、自分の偏見や価値観を越えて人を受け入れることのメタファーとしてのセックス…というような、怒涛の描写は圧巻です。
ラストまではさすがにここでは書きませんが、わたしは久々に漫画を読んで嗚咽したのでした。二度と戻らない青春の煌めき、もう会うこともなくなってしまった人たちへの郷愁、そんなものがどばーっと押し寄せてきて、夜中というのに心の汗が止まりませんでした。

もうひとつ、やはりどマイナーな漫画で恐縮なのですが、『大きな栗の木の下で』という作品があります。
この2冊のコミック(正確には続編の『大喝采!』を併せて3冊)は、「実家で読みたいあの本この本」にも該当する本のひとつなのですが、こちらもまた、こうした性別や性癖の揺らぎを見事に描いた青春恋愛漫画です。
主人公の花田くんは、男子校の生徒会長でサッカー部キャプテン、学校の名物男と呼ばれる人気者。ですが、密かに、ちょい悪な下級生・高柳くんに恋をしています。
花田くんの妹・さくらは、友達と同人誌制作に励む筋金入りの腐女子。お兄ちゃんが誰か男の子と恋に落ちてくれないだろうかといつも願っています。花田くんは、とてもじゃないけれど、高柳くんのことをさくらには話せません。お祭り騒ぎになってしまうからです(笑)。
花田くんからすると、さくらの趣味はまったく理解不能でふざけているようにしか思えないのですが(大概の男子は腐女子に対してそう思っていることでありましょう…)、たまにさくらは、同性を密かに好きになってしまった花田くんの核心に触れるようなことを言ったりします。

花田「…おまえの好み(の男子)って…」
さくら「男の子に恋するタイプ」
花田「(!?)」
さくら「冗談だよーん。でもそんな 男の子にもつい恋してしまうような ナイーブな男の子が さくら 好きなんだ」

結局、花田くんは気持ちを伝えることのないまま、高柳くんは転校してしまいます。
ふたりはその後、海水浴で再会しますが、花田くんも高柳くんも女連れ。といっても、花田くんは妹軍団のお守りで、高柳くんは年の近い親戚の叔母さんと一緒だったわけですが、お互いそれを知ることもなく、花田くんは自分の初恋をひっそりと埋葬します。
高柳くんの後姿を目で追いながら、
「俺はずっと…彼に笑いかけてほしかったんだ…」
そう呟く花田くんが切ない。

この二作品に共通するのは、どマイナーなこと……ではなく、“性別の揺らぎ”を描いたBL、という点だと思います。
そして、わたしが好きなBLというのは、男と男が当たり前に結ばれるある種のユートピアではなく、古いジェンダーの枠を越え、殻を破っていく課程が見えるBLなんだな、と。それがあるべきBLの姿と云いたいのではなく、単に好みの問題なんですけどね。
そもそも恋愛の尊さとは、自分の理想が理想のまま形になることではなく、自分一人では到達しえなかった思いや価値観に気がつくことではないでしょうか? そこにカタルシスがあるからこそ、漫画やドラマというフィクションの恋愛にも、人は感動を覚えるのではないでしょうか。
「おっさんずラブ」のよさも、BL的に都合がいいわけではない世界で(でも部内のゲイ率高すぎだけど!笑)、ぼんやりしていた主人公が、同性に好きになったりなられたりして混乱に突き落とされるうちに、新しいドアを開いていく過程にあるんじゃないかと思います。
だから、BLの物語の主軸にノンケがいることは、個人的にとても重要なファクターになっているのかもしれません。
いずれも紙の本はとっくに絶版ですが、kindleで読めますので、ぜひ“埋もれた名作”を手に取ってみてくださいね☆

ところで、未だにドラマのファンは多いようで、放映中はツイッターでもずいぶん楽しませてもらいましたが、当時ちょっと怖いなと思っていたのが、腐女子界におけるカップリング論争でした。
牧春原理主義者(牧と春田のカップルしか認めない主義者)みたいな人が少なからずいたらしく、ラスト付近で部長がはるたんと暮らし始めたのを見て、番宣用に開始された部長のツイッターに本気で突撃する人たちが現れるという恐ろしい事態に…。
わたしも腐女子の端くれ、二次元で妄想する趣味は充分持ち合わせておりますが、あらためて、深入りしてはいけない世界だと思ひました。リバ(攻受逆転)も凄く嫌われていますよね。やっぱ、BLって性癖的な部分に抵触するデリケートな世界だからかしら。
あとは、「悪い人がひとりもいない世界」という絶賛をちらほら見かけたんですけど、それもむず痒かったなあ……。いや、おっさんずラブに限ったことではなく、いろんなフィクションでこのテの絶賛を見ると、いつも違和感があります。
すみません、最後はなんか悪口みたいになってしまったな(笑)。