少しずつ、表面的には日常に戻っていく過程で、小さな差別や憎しみがにじみ出している悪寒がする。
被災地の人と、被災地以外の人。関東と、関西の人。
支援できる(している)人と、できない(していない)人。
募金の額が少ない人と、多い人。
疎開(避難)する人と、しない人。
被災地でも、電気が通っている地域の人と、まだインフラが整わない地域の人。

わたしはいま、どっちのどこらへんにいるんだ?と気にしてしまう。

「この東北の現状を身近な人、一人でも多くの人に伝えてください。その人たちが節約してくれたり、募金してくれたら、被災者にその分届きます。」
なんてメールをもらったら、それがずっとトゲみたいに心に刺さっていて苦しい(それで、自分主催になりそうな飲み会を延期してしまった…)。
そして、そんなことを書いているそばから、
「駄文書いてるヒマがあったら、ボランティアでも行けよ!」
と怒鳴られそうな恐怖に怯えるチキンなわたくし(苦笑)。怖い。誰かの怒り、プレッシャー、得体の知れない罪悪感に潰されそう…と云いつつブログを書くわたしはただの変態か。


首都圏に対して、憎悪のような感情を抱いている被災地の人もいるようですよね…。
「福島原発は、東京のために電力を供給し続けてきたのに!」
誰にでも明確にわかる敵のいる戦争と違って、やり場のない悲しさを特定のものにぶつけにくい今、どこかに敵を作らないと感情を吐き出せないのかもしれない。それくらい、受けた痛みが酷すぎるのだとは思う。


その延長で、前回も触れた「疎開」なんですけど、これまた憎しみの対象になるみたいで、知らないうちにムギさんのブログがえらいことになっていてビックリ。
すでに削除済みだという、地震当初に書かれたブログをわたしは未見なのだけれども、なんですか、「日本から出ていけ!」てなコメントもあったとか…。
うーん、なんというか…凄まじいな。非常事態の日本から出られる人には、罵詈雑言を浴びせてもいいことになってるんだっけ?
疎開のこと、関西や外国に避難することをみんな一緒くたに「逃げる」って言葉を使うみたいですが、逃げるという表現は、間違いなくマイナスの意味で使っていますよね。それも、物理的にではなく、あくまで感情的なマイナスで(物理的に考えたら、人口の移動はそんなにマイナスでないと思える)。
「自分は逃げないよ!」っていう表明にしても、心意気は立派だと思うけれども「逃げんじゃないよ!」という怒りが裏に透けて見えるよーな、そしてその怒りは、何に根差しているのかと考えるに「あんただけズルい」って感情なんじゃないのかなぁ、なんて勘ぐってしまうよ…。“大変な人たちがいるのに”→“君だけ安全なところに行くなんてダメだ”という論理の正当性は、大変な人たちへの心的配慮ということはあるにしても、釈然としないものがあります。
そして、そういう言葉や態度で以て、戦時中は「非国民」というレッテルを貼っていたんじゃないかって想像したら(「兵隊さんは戦地でお国のために戦ってるのに!」)、だんだん怖くなってくる。言論統制とか、連帯責任とか、いわゆる“同調圧力”ってやつが…。
自衛隊や消防庁やいろんな人たちが、決死の覚悟で働いていることは知ってる。それに対しては、どんな正義も及ばないほど尊いことだと感じてもいる。
だけど、彼らと、避難する人たちとを同じ俎上に並べて糾弾するのは、なんか、違うんじゃないの…?
自分自身が今も東京にいるのは、突き詰めれば、1に惰性(7割)、2に金欠(1割)、3に好奇心(1割)、あとはやっぱ、なんとなく微妙に刺さる罪の意識的なもの?…と考えると別に、東京にいる=勇気がある、ってことではなかったりして。ここにしかいられない人、勇気を振り絞って在京している人には失礼だけども。


スリランカで津波に遭ったゲストハウスのオーナーが云ってましたっけ。
「動物たちはとっくに高い場所に避難してたんだ。でも人間は気づけなかった」って。
だから、分かんないのですよ。いち早く避難したことが英断になるかもしれない。ならないかもしれない。ならない方がいいに決まっているけれど、今は、誰にも分かりません(一部のエライ人たちは分かっているかもしれませんね)。
そうこうしているうちに、東京の水道水で放射能物質が発見ですって?……平常心を保ち続けるには、けっこうな努力or鈍感力が必要そうです。


前に書いた『夜』の冒頭内容つーのがよく分からん、とのご指摘を受けたので、ざっとあらすじを書きます。
主人公のエリエゼル少年(ユダヤ人)が住む、東欧の田舎町シゲト。そこに、<堂守りのモシェ>と呼ばれている何でも屋の男がいました。
ある日、モシェは“外国から来たユダヤ人”であるために、移送囚としてどこかへ連れて行かれます。それから数ヵ月後、不意に戻って来た彼が町民に話したのは、地獄のような収容所での体験談(彼は脱走してきたのです)。でも、誰もが「そんなことがあるわけがない」と云って一笑に付します。
やがて、戦争の影が色濃くなり、ユダヤ人たちはゲットーに移転させられます。エリエゼルは父親に、その頃にはまだ買えたという「パレスチナ行きの通行証」を手に入れて家族で引っ越さないかと提案しますが、父親は、もう自分は老いていて、今さら新しい土地での生活をするのはつらいから、と反対します。
<以下引用>
翌日、もうひとつの憂慮すべきニュースが届いた。(中略)そこかしこで不安が目ざめかけていた。(中略)こうしたニュースが燎原の火のようにシゲトの町に広がっていった。やがて、いたるところでその噂をするようになった。しかし、長くは続かなかった。楽天論がすぐに息を吹き返したのである。
「ドイツ軍はここまでは来ないだろう。ブダペストに留まっているだろう。戦略的理由からいっても、政治的理由からいっても……。」
三日とたたぬうちに、ドイツ軍の車両は私たちの町の通りに姿を現わした。


この『夜』という小説は、いろんなマニュアル書を読むよりも示唆に富んでいて、身につまされます。手に入る方は、ぜひご一読をおすすめします(野ぎく堂Online でどうぞ(笑))。
まあ、そこまで大げさな話はないとしても(いろいろ戦時下っぽいけど、戦争ではないしね…)、守らなきゃいけない人が身近にいて、守るという選択が物理的に許されているなら、守ってあげた方がいいんじゃないかな…。「私」ではなく「公」を選ばざるを得ない自衛隊や消防庁や"現場の人たち”は、本当に、本当につらいと思う。


避難すること=被災地や日本を見捨てることではないし、募金や、何かしらの支援をしたいという気持ちは、たとえここにいなくても、海外の、日本と何の関係もなく暮らしている現地の人ですらも…持っているわけで、そうでなければ、どうしてアフガニスタンのような情勢不安を抱える国から、あれだけの募金が集まるでしょうか? アフガニスタンのことを憂い、募金をした人が、日本にどれだけいるというんです?
程度の差はあれ、どこにいても被災地の味方でありたくて、少なくとも敵になるつもりなんか、誰にもないはず。というか、こんなときだからこそ、(たとえ心理的なものとしても)内戦状態にならないようにしたいものです…。


ちなみに、わたしの募金先はここです~。赤十字もいいけれど、お金を渡す先が限られている身としては、こういう団体もいいのかと。
CODE(海外災害援助市民センター)