「みやぎシルバーネット」さんの創刊20周年祝賀会へ参加させていただきました。
モノクロの第一号、長年の投稿者、支えた方々、愛読者間の楽しい交流など、文字どおり20年にわたる歴史を振り返る構成で、千葉雅俊編集長渾身のイベントでした。
誰もが、ありのままの気持を詠み、それが作品を通じて誰かに伝わり、温かな思いの行き交いが生じる川柳の投稿欄は、柱とも言うべきものに育ちました。
河出書房新社が発行する「シルバー川柳」シリーズへ投稿したいという人は今や、全国へ広がり、毎日、数通づつ東京の編集部へ届くという勢いです。
会の冒頭近く、編集長が紹介した方のケースは特に、川柳が持つ力を示して余りあるものでした。
毎月、さりげなく日常を描いて投稿するAさんは、お人柄と生活ぶりをいろいろと想像させました。
それが、病気や死後の準備などへと内容が移り、心配していたところ投稿が途絶え、ご家族からご逝去の知らせが届きました。
後日、あるところで、Aさんを見送った医師の文章を目にしました。
そこには、病床でも紙とペンを離さず、とうとうそれを置かねばならなくなったAさんの目から涙がこぼれ、数日後に息を引き取ったという様子が描かれていたそうです。
太平洋戦争から帰還した方の長文を連載したり、特殊詐欺に対抗する県警の防犯欄を設けたりして、独自の姿勢を貫いても来ました。
そうした20年を貫いているのは、よりお年寄りに近づきたいという千葉編集長の純粋な思いではないかと感じました。
「寄り添う」「思いやる」などと言葉にするのは簡単ですが、それが内実を伴った真実の心や行動になることは、決して容易ではありません。
個人主義の空気で生きている私たちはどうしても、他者との間に何らかの隙間を求めがちです。
そうして〈自分〉を確保しておかないと落ちつかないのかも知れません。
しかし、千葉編集長にはそうした無用の〈用心〉めいたものが感じられず、そこが、年配者をはじめ、たくさんの人々に信頼感や安心感や温もり感を与え、20年にわたる膨大な魂の交流が積み上がって来たのではないでしょうか?
小生も同じ感じを抱いて謦咳(ケイガイ)に接している一人であり、本当の「無私」とはこういうものではなかろうか、と感心してきました。
会の後半、小生も先輩方に続いて壇上へ呼ばれ、「終括」と「戒名」についてマイクを向けられました。
いつものように、〝どうか、おわかりいただきたい〟と必死になって聴衆の方々へ語りかけて時間を費やし、ついに「おめでとうございます」の言葉を発することなく降壇してしまいました。
緞帳(ドンチョウ)の裏手に回りながら、情けなく、申しわけなくてたまりません。
お詫びや感謝の気持をお伝えする機会もないまま、懇親会の会場へ向かいました。
歌や踊りに賑わう会場で、数名の方々から「お寺よろず相談」の欄を読んで勉強になっています、などと声をかけられ、皆さんのためにも、千葉編集長のためにも、仏教のためにも役割を果たしているという実感に嬉しくなりました。
自分の最期を託したい、と具体的におっしゃる方々もおられ、感激の時間でした。
初対面の小生へ深い信頼をお寄せくださったBさんが唄われた「新相馬節」は、もうすぐ100才になる小生の父(福島県出身)がかつて、祝いの席で必ず唄った懐かしい民謡です。
ゆったりと声を出すお姿がほとんど寝たきりになった父の若い日の姿と重なり、涙をもよおしました。
千葉編集長は、祝賀会でパソコンとスクリーンを駆使しながら壇上に出ずっぱり、懇親会でもほとんど飲まず食わずのまま、写真を撮り、会話を交わし、まさに奮闘しておられます。
自分の祝賀会というよりも、支えてくださったご縁の方々のための会にしようという姿に、あらためて頭の下がる思いでした。
皆さんの「ありがとう」「これからもずっと」という心からの感謝と希望に圧倒されつつ、帰山しました。
もちろん、小生も同じ思いです。
諸行無常が真理であると共に、よき願望に生きるのも真実です。
千葉編集長から求められる間は執筆し続けたいと念じながら床に就きました。
「みやぎシルバーネット」さんのご隆盛と、読者・投稿者の皆さんのご多幸を祈っております。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0