江戸時代の小林一茶は詠んだ。
「ともかくもあなたまかせの年の暮」
年の瀬となってあれもこれもと気は急くが、ジタバタしたところで、時々刻々と一年は過ぎ去ろうとしており、もうどうしようもない。
ことここに至れば、あなた任せを決め込むしかなかろうと、腹をくくっている。
「これがまあ終の棲家か雪五尺」
雪が1・5メートルも積もってしまえば、出て歩くこともできないが、家が押し潰されるまではこうしていられる。
自分の一生がこんなふうに終わってしまうのなら、それもそれだと泰然たるものである。
みやぎシルバーネットさんが発行する「シルバー川柳」は、あっという間に第6弾となった。
10月8日放映の「仙台人図鑑 第27回」に登場した編集人千葉雅俊氏(55才)は、読者が投稿した川柳を何句か紹介した。
「ドクターの笑顔やさしい往診日」 (女性・75才)
末期癌の女性は、最後までペンと紙を離さなかった。
「決めかねるもっと美人の我が遺影」 (女性・85才)
自分の遺影をあれこれと選ぶ達観した心中がよく表れている。
氏は、投稿者の半数が、呆け防止のためにやっているというアンケート結果を披瀝した。
老人クラブなどの会員が減る一方で、カラオケや川柳など、単一の目的に特化した会が増えた。
豊かな老後を求める人びとの中で、趣味や好みを共有する人と人とのつながりという〈力〉が輝きを増している。
昭和10年、寺山修司は『俳句作法講座』で、こう述べている。
「(俳句には)花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。
『山路来て何やらゆかしすみれ草』でも、すみれと人とが互いにゆかしがっているのを傍からもう一人の自分が静かにながめているような趣が自分には感ぜられる。」
そして、ある歌人の話として、歌人には自殺者が多く、俳人には少ないというエピソードを紹介し、こう言う。
「いかなる悲痛な境遇でも、それを客観した瞬間にはもはや自分の悲しみではない。」
年をとると、そこまで行ってみなければわからない〈ままならなさ〉にぶつかり、辛さや淋しさや悲しみに耐えねばならなくなる。
そんな時、心を励まし、いのちを活性化させ、苦難を乗り越えさせもする俳句や川柳や短歌は、ありがたい友となるのではなかろうか。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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