〈当山近くにある『ペット霊園やすらぎ』様で、恒例の供養会を行いました〉
〈ストーブの前は極楽〉
よく、「人事は棺(カン)を蓋(オオ)うて定まる」と言います。
人の評価は、死後にはっきりするという意味です。
生きているあいだは、義理や人情や損得勘定などがからみ、人物そのものの正確な評価は行われにくいものです。
権力者や裕福な人は「大したものだ」と持ち上げられていても、その〈人となり〉については、身近にいる人々から厳しい目で見られていたりします。
死後、身にまとっていた諸々がなくなると、その人そのものの真姿が明らかになります。
死後は関係ない、自分が生きている間だけが問題だ、と考える方もおられるでしょう。
そうでしょうか。
少なくとも、自分の子供や孫、あるいは後の世代のことを考慮する人ならば、そうは言えないはずです。
なぜなら、若い人たちの未来を考えながら生きるかどうかは、自分の今をどう生きるかという問題そのものだからです。
後の世代に思いをいたしつつ生きる人は、生きている間はもちろん、死後にはますます評価を高めることでしょう。
ある時、ある田舎町のご葬儀で導師を務めました。
ご家族だけの質素なお別れでしたが、学生服を着たお孫さんがよてもよい姿勢でお別れの言葉を述べました。
ご本人の了解を得てその一部を掲載しておきます。
「おじいちゃんから学んだ一番のことはあいさつ。
人と接する上で大切な事はあいさつをきちんと出来る事だと、何度も教えてくれたよね。
そのおかげで、どこに行っても、礼儀正しく立派だと僕はいつも誉められます。
これはおじいちゃんのおかげだね!!
ありがとう。
おじいちゃんはいつも自分の事より、皆の事を優先して考える人だったから、入院した時だって、本当はおじいちゃんが病気で辛いはずなのに、僕達の心配ばかりしていたね。
そんな思いやりのあるお祖父ちゃんが僕は大好きです。
おじいちゃんにしてもらった事はたくさんあるけれど、僕は何も返してあげられなかったから、おじいちゃんの代わりにおばあちゃんの事は僕が守って行くから、安心して僕に任せてよ。
だからおじいちゃん!!
天国から僕達の事を見守っててね。
僕もおじいちゃんみたいな立派な大人になれるように頑張ります。」
おじいちゃんは、現場で汗をかくことをいとわないまじめな普通のサラリーマンだったそうです。
戦後の混乱と競争の中で生き抜き、子供たちを育て上げました。
特に名を立てたわけではなく、莫大な財産も遺しませんでしたが、家族や友人に囲まれつつ静かに逝きました。
そして、死と共に、この上なく高い評価が一つ、下されました。
礼儀正しく、おばあちゃんを思いやる中学生が一人できあがることに大きくかかわっていたのです。
一人の若者のお手本になっていたのです。
しかも、その真実を、当の中学生が厳粛な場で堂々と証言しました。
これ以上確かに「定まる」ことは望み得ましょうか?
私たちは、望もうと、望むまいと、お棺(ヒツギ)に横たわってから、送った人生が顕わになります。
しかも、自分以外の人によって観られ、思い出され、語られる真実は、〈死後の自分〉という永遠なる未来を定めます。
生きた自分だけでなく死後の自分も、それを記憶する人々と、その人々と縁になる人々の生きざまにかかわって行きます。
決して「自分が生きている間だけが問題」ではありません。
滔々たるいのちと心の連鎖、縁という時間的・空間的に無限大なる網の繋ぎ目である一瞬を今、生きていることを忘れずに日々、過ごしたいものです。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。
「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0