四国霊場の49番札所浄土寺に、正岡子規の句碑がある。
空也上人(クウヤショウニン)を詠んだものだ。
霜月と呼ばれる11月は1年で最も印象の薄い月かも知れない。
秋の収穫や祭や観光が終わり、人々の心は年末と新年へ向かい、足元の時間は薄く不安を忍ばせた様相で、ただ忙しく過ぎて行く。
もの皆、枯れ果て、変わらぬ存在感を持っているのはカラスぐらいのものだ。
だから、子規はこうも詠んだ。
「霜月や石の鳥居に鳴く鴉」
人々が寒さに縮こまり、どこへ行っても暖を求める季節。
寒風に立つ石の鳥居は、眺めるだけで冷たさがリアルに想像され、誰一人触れたいとは思わないだろう。
しかし、真っ黒いカラスだけは平然と止まってあたりを睥睨(ヘイゲイ)し、いつに変わらぬ声で鳴いている。
その存在の濃さに、子規は恐怖を覚えたのではなかろうか。
さて、冒頭の句である。
平安時代、阿弥陀聖(アミダヒジリ)と称された空也上人は鉦(ショウ…小さなカネ)などを叩き、ただただ、南無阿弥陀仏を唱えながら踊り、全国を行脚した。
途中で寺院を建立したり、橋をかけたりするなど、社会事業も行った。
京都の六波羅蜜寺(ロクハラミツジ)にある有名な像では、口から出る6つの文字がそのまま小さい6体の仏像に結晶している。
身体は極限まで枯れようと、念仏は息のある限り続く。
その思いは骨になっても消えない。
霜が降り、いきものたちの活動が細って行く11月こそ、遺された上人の思いが際立つ。
醍醐天皇の第二皇子という出生にもかかわらず、仏道修行と人々の救済に一生を捧げた上人の痩せた姿は、お釈迦様の修業時代を想像した有名なお像に結びつく。
3~4世紀にガンダーラで作られたとされるお像は、鋳造や石造となり世界中で拝まれ、当山の境内地にも鎮座しておられる。
印象の薄い霜月といえども、時はいつもと同じく流れている。
こうした時期にこそ、子規のように立ち止まり、寒風にも消えず、歴史の波にも消えなかった心の灯火に想いを馳せてみたい。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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