ツワブキがどういう花なのかをようやく知った。
開ききった小さな菊花で、土手の目立たないあたり、あるいは、やや日陰になって他の華やかな花たちが見当たらないような場所で、ひっそりと咲いている。
華奢な花弁の割には広葉樹のようにしっかりした濃緑色の葉をもっており、目を奪われた。

 

 

昭和62年、小椋佳の作詞作曲による『流氷の街』が渡哲也の唄で巷に流れた。
確か、テレビドラマの主題歌か挿入歌だったと思う。
そのドラマを観たことはなかったが、いつしか、もろもろの問題で苦吟する者の耳の底に居ついた。

 

 

「流氷の街の 片隅で
心にしみ込む 優しさは
涙おく 露草か
ひそやかな ひとよ

 

 

すまじきは恋の 戯れか
心のなごみの 華やぎも
ひとむれの つわぶきか
隠れ咲く 花よ」

 

 

小椋佳が言わんとするところは想像がついても、花そのものがいなかる姿をしているか、調べないままに約30年の月日が流れた。
今回の四国遍路を迎える準備中、不思議とこの歌がよみがえった。
そして、“この哀しみは何だろう?”と訝る思いを持ったまま飛行機に乗った。

 

 

最初に訪れた鶴林寺の参道で小さく黄色な花を見つけ、同行のご婦人方に訊ねた。
「何という花でしょうか?」
そして、あっけない初対面となった。

 

 

その慎ましさに涙を感じた。
“小椋佳はいかなる思いでこの花を眺めたのだろう?”
大ぶりでしっかりした葉にも唸らされた。
食用にもなると聞き、今度は深く頷かせられた。
あの歌の主人公が流氷の街で出会った女性のイメージは、霧の去った朝に存在感を増す風景と同じく、鮮明になった。

 

 

知ってしまったせいで、よく目に入るのだろう。
行く先々の札所で、ツワブキたちが出迎えてくれた。
ポンと孤独に咲いているものもあり、群れているものもある。
心で挨拶をしながら本堂へ向かう。
祈りは確実に深まった。