お大師様が旅立った後、高野山が没落した時期のできごとである。
天台宗の円仁が、弟子と荒廃ぶりを語り合ったところ、その世の夢にお大師様が現れた。
次いで、真言宗の康修も現れて、「和尚に会おうと、お大師様が来ておられます」と告げた。
円仁は驚いて起き上がり、衣装を整えて玄関に出る。
ところが、お大師様はおられない。
周囲を見回すと、庭に一本の蓮華が立っており、五鈷金剛杵(ゴココンゴウショ)が乗っていた。
康修は再び、円仁の想念に現れてそれを指し示す。
「あの金剛杵は我が師である」
お大師様は、右手に五鈷金剛杵、左手に数珠を持って入定(ニュウジョウ…瞑想のままこの世を去ること)された。
金剛杵は不退転の智慧を、数珠は一人も見捨てない慈悲を表す。
それは不動明王が右手に剣、左手に索(サク…縄)を持つのと同じである。
お大師様は御遺告(ユイゴウ)で説かれた。
「吾れ閉眼の後には必ず方(マサ)に兜卒他天(トソツテン…弥勒菩薩の浄土)に往生して弥勒慈尊(ミロクジソン)の御前に侍(ハベ)るべし。
五十六億余の後には必ず慈尊と共に下生(ゲショウ)し祇候(シコウ)して吾が先跡を問うべし。
亦(マタ)、未だ下らざる間は微雲管(ミウンカン)より見て信否を察すべし。」
(私が亡き後には、必ず兜卒天に往生して弥勒菩薩のもとにつかえるであろう。
仏滅後五十六億七千万年経ち、弥勒菩薩が天上からこの世へ降るおりには、必ず弥勒菩薩とともに人間界へ降り、かつて私が歩んだ跡を訪ねるであろう。
また、この世へ降りるまでの間は、兜卒天の微かな雲間から望み見て、人々の信心・不信心を観察するであろう)
「努力努力(ユメユメ)後に疎(オロソ)かにすることなかれ」
(私が去った後も、決して、精進せず仏法を疎かにするようなことがあってはならない)
お大師様は、弥勒菩薩のおそばから、不動明王のような智慧と慈悲により私たちを見守っておられる。
一時の流行や廃れに一喜一憂してはならない。
信じ、精進する者は必ずお大師様と感応できる。
お大師様とお会いできるかできないかは私たち自身の心がけ次第だ。
ちなみに、蓮華に乗った金剛杵は、当山のお焚きあげの場にも高く掲げられている。
この形は、あらゆる迷妄を断ち、生きとし生けるものを救う智慧と慈悲を目ざす仏法の根幹であるに違いない。
「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8