10月2日に書いた「背き合いとマンダラ」についてご質問がありました。
「とても見るに耐えない画ですが、なぜ、これが修行に用いられるのですか?」
疑問は当然です。
では、図にある13人について詳しく見てみましょう。
誰であるかは以下のとおりです。
・左上の一人…奪一切人命(ダツイッサイニンミョウ)
閻魔天(エンマテン)に属し、すべての人々のいのちを奪う死に神。
右手に持っているのは皮袋、左手には菩薩(ボサツ)のように花を持っています。
生まれた私たちは死にたくありませんが、授かったいのちは必ずお返しせねばなりません。
新たないのちが生まれ、育つために。
東北を考え続けている山内明美氏は著書『こども東北学』の最後で、詩人谷川俊太郎氏からの質問「死んだらどこへ行きますか?」に、こう答えておられます。
「んだなぁ。
どごさ行ぐのがなぁ。
ふわふわどごさが飛んでいぐんだいが?
土の中でねぇが?
花の養分さでもなるんでねぇが?」
生は時間の流れに生じ、流れは死も招きますが、いのちそのものは無になるのではなく、生から死へと姿を変えるのみであり、死はやがて生をもたらします。
花は散っても、花びらは養分となり、生の準備をするのです。
当山が造りつつある「お遍路道場」も土造りから始め、新たないのちと心の世界を招こうとしています。
いのちを奪う奪一切人命がなぜ、惨たらしい姿でないか?
その理由がわかります。
・その他の8人…毘舎遮(ビシャシャ)
餓鬼。
人肉を喰い、血をすすって飢えを凌ぐ。
自分が喰い、飲むことにしか関心を持てず、同類なのに会話はできない。
彼らは人を喰う鬼たちです。
何とも哀れな姿で人肉を喰い、血をすすっていますが、一緒にいても決して目を合わせてはいません。
自分の食欲が生存の全てであり、他者は目に入らないのです。
彼らの表情を眺めていると、私たちが本当に飢えた時の様子が想像され、ブルッとなります。
また、我がことしか考えない利己主義者たちの顔も想像され、貧富を問わず、〈奪う手〉を伸ばす者の浅ましさに目を背けたくなります。
獲物がなくて焦る者にはもちろん、両手に食べものと飲みものを持った者にも、深い感謝や溢れる喜びは一欠片もありません。
心に真の満足がないからでしょう。
私たちもまた、我欲に追われている時は、自分で気づこうと気づくまいと、表面の顔の下にはこうした表情が現れているはずです。
我が身を振り返ると同時に、戦争や飢饉によって食べられず、飲めず、奪うか死ぬかの瀬戸際に立たされている人々の境遇にも思いを致したいものです。
・その下の3人…荼吉尼(ダキニ)
大黒天に属し、人の死を半年前に知り、心臓を奪って喰う。
仏法に接して悔悛しながらも、喰わねばならぬ境遇を哀れんだみ仏のお慈悲により、死人の人肉を喰うことは許された。
屍体を暴悪な羅刹(ラセツ)から守るための真言も授かった。
この世でも、あの手この手で、死へ向かっている人々に近づき、その命綱を奪おうとする人々がいます。
毘舎遮と違い、明らかに肥えているにもかかわらず、毘舎遮の持たない武器を持ち、まるで宴会をやっているような風情です。
自分が生きるための範囲なら死人を喰うことを許されてはいますが、食べものはいつ、凶暴な羅刹などに奪われるかわかりません。
まるで、オレオレ詐欺や悪徳商法を行う人々が暴力団などに狙われつつ、悪しき方法で奪った戦利品を誇り、ひとときの宴会をやっているようではありませんか?
・一番下に横たわる人…死鬼
亡者。
自分の死を理解し、観念しています。
あとは屍体を何ものかに喰われようが、喰われまいが、そのことについては放念しているように見えます。
諦念に導かれてあの世での旅を行けばきっと、み仏の世界へ溶け込めることでしょう。
しかし、何かのきっかけでこの世へ怨みなどを残せば、文字どおりの鬼として悪しき影響力を持たないとも限りません。
たとえば、自分の死後に備えて準備した葬儀代やお布施が誰かに流用され、望んだ旅立ちができなかったならば、どうでしょうか?
亡くなった人が成仏できるかどうか、それは旅立つ人の心一つではありますが、送る人が当人の心をどう考え、何を行うかもまことに重大です。
しかも、そうした人生上の重大場面でいかなる行動をとったかは、送る人のその後の人生に大きな影響を及ぼすことでしょう。
私たちは、死鬼の表情を眺め、送られる心、送る心を考えたいものです。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。
「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA