〈ご加持の印〉
10月は、寒露(カンロ)と霜降(ソウコウ)の神無月(カンナヅキ…10月8日より11月6日まで)です。
10月は戌(イヌ)の月なので、守本尊は阿弥陀如来(アミダニョライ)様です。
阿弥陀如来様は、『遍處行智力(ヘンショギョウチリキ)』をもって、人々がどのような世界へ行こうとしているかをご覧になり、地獄界や餓鬼界などの悪しき世界へ入らぬよう、お導きくださいます。
正しく念ずるならば、そのお力により、必ず善き所へ連れて行ってくださるのです。
また、阿弥陀如来は、戌亥年生まれの善男善女を一生お守りくださる一代守本尊様でもあり、身体においては、主として脚をお守りくださいます。
そして、特に今年、数え年で2才、11才、20才、29才、38才、47才、56才、65才、74才、83才、92才、100才の方をご守護くださいます。
ご供養し、ご守護いただき、心豊かに、無事安全に過ごしましょう。
「それ衆生(シュジョウ)界一切の○業障重罪(ゴッショウジュウザイ)ことごとく○消滅すまで大慈悲の○無量の願を捨てざると○誓約された阿弥陀仏○三密加持(サンミツカジ)のその時に○目(マ)の当たりにぞ拝すなり」
(生きとし生けるものたちすべての悪行による悪しき影響力や障りを招く可能性、そして重い罪そのものをことごとく消滅させるまで、無限の願いを捨てないと約束された阿弥陀如来を、私たちは、身体と言葉と心とをみ仏と一体化させるその時に、ありありと拝することができる)
私たちは、うわべだけでなく、心の底から自分自身を省み、身体でよきことを行い、思いやりのこもった言葉を用い、み仏の世界やお姿を心に描く時、慈悲の権化(ゴンゲ)である阿弥陀如来様のお力やお姿を感得せきるかも知れません。
「亡き人と○一切衆生(シュジョウ)の成仏を○至心に廻向(エコウ)・祈念して○阿弥陀如来の真言の○無量無辺の加持力(カジリキ)と○利益を信じ誠心(ヒタスラ)に○大師と共に誦持(ジュジ)すれば○阿弥陀の光に包まれて○その法悦に随喜(ズイキ)せん」
(亡くなった人と、生きとし生けるものが成仏できるよう、心の底から、自分の善行がもたらすよい影響力をふり向け、成就するよう祈り、阿弥陀如来の真言が持つ限りない救済力を信じつつ、お大師様と一緒に唱え、没頭すれば、やがて阿弥陀如来の光に包まれ、ご加護を受けている実感を喜べることだろう)
四国遍路をする人はすべて、心に「同行二人(ドウギョウニニン)」の思いを抱き、「南無大師遍照金剛」と唱えます。
どこでもお大師様と一緒であり、どこの札所におられるご本尊様に対しても、お大師様と一緒に般若心経や真言を捧げ、善願の成就を祈ります。
お不動様やお地蔵様や阿弥陀様など、各札所におられるどなたもが、まごころを捧げる善男善女へ救いの手を差し伸べられます。
まごころを捧げる具体的な方法、すなわち、即身成仏(ソクシンジョウブツ)する方法が、身体と言葉と心をみ仏に一体化させることであり、合掌し、真言や経文を唱え、心が清浄になってご本尊様と一体化すれば、「加持力」に包まれる状態と言えるのです。
その〝ああ、お救いいただいている〟という実感こそが「法悦に随喜」と称する中身です。
写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた阿弥陀如来様です。
総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)
10月の守本尊阿弥陀如来(アミダニョライ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。
「おん あみりたていせい から うん」

※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。
「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
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〈「着物さくさく」様よりお借りして加工しました〉
仙台市営地下鉄泉中央駅の近くに年配者も立ち寄れるバーがある。
かつて、一度しか行ったことはないが、あるシーンが心から離れない。
久方ぶりに「裏勝(ウラマサ)り」を見たのだ。
高校生の頃、江戸時代の「奢侈(シャシ)禁止令」について習った。
贅沢(ゼイタク)を敵視し、質素倹約を旨とするよう指示するお達しだが、もう一つの狙いもある。
身分制度を守るために、分相応の服装を強いたのだ。
しかし、安定した時代に生活を楽しむ人々は、「はい、そうですか」では済まなくなる。
感性が〝佳い〟と反応することを制御することはできない。
こうした背景で「裏勝り」という美意識が生まれたらしい。
男性用の羽織は普通、地味な色合いだ。
それをきちんと身につけて歩くのは、着流しよりも落ちついた風情があり、他家を訪ねる際などの礼儀にもかなっている。
こうした羽織の裏地は当然、材質も色合いも質素に作られた。
ところが、ケンカと色恋が大好きな江戸の男性たちは気づいた。
〝いざという時、パッと脱いだ羽織の裏地が鮮やかだったらどんなに粋だろうか〟
しかも、裏地は脱がない限り見えないので、過差(カサ)として取り締まられることもない。
羽二重(ハブタエ)などの高級地を用い、色、柄共に凝った羽織の裏地を楽しむ「裏勝り」は、江戸の男女を虜にした。
さて、バーの「裏勝り」はトイレのそばにあった。
私たちは必要に駆られてトイレへ向かうので、扉をめがけてまっすぐに進む。
周囲のものはあまり、目に入らない。
このバーでは、自分の席へ戻ろうとした時に、通路脇の生け花が目に入る。
しかも豪華な作品は、視線の高さなどに飾られているのではなく、普通なら扉が付いて掃除用品などが入れられるような場所に置かれている。
だから、その存在に気づかなかったり、あまり目にとめない酔客も多いらしい。
トイレから戻り、落ちついた感じのママさんへ言った。
「羽織の裏地ですね」
ママさんは応えた。
「あれが飾れる限り、やって行こうと思っています」
この店が何に勝負をかけて営まれているか、わかるような気がした。
希有(ケウ)な店の名はMARL(マール)という。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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