小生はときおり、妻からきつい注意を受ける。
「捕まんないでよ!
罰金、いくらだと思ってんの!」
スピード違反の話だ。
お巡りさんから渡された振込用紙の金額を見てたまげ驚き、こっそり払おうと隠しているうちにバレたという前科もあるので、思い出した時に騒がれるのは仕方がない。
今場所の豪栄道関ではないが、集中力が高まっている時は、前方のねずみ取りも、後方から忍び寄る白バイも早めにピンときてしまうので大丈夫。
娑婆にいたころさかんにやっていた麻雀で、ツモる予感がするのと同じだ。
しかし、考えごとをしていたり、カーステレオの音楽に夢中になっていたり、あるいはボーッとしたり(これはそもそも運転自体が危険でもあるが……)といった状態では、アウトになりやすい。
酷い時は、後からサイレンを鳴らすパトカーに追跡(!)され、ついに赤信号で前へ回り込まれるまで気づかず、快走していたという実績もある。
こんなわけで、つい最近も、法具など準備万端調い、さあ、出発というタイミングでいつもの注意を受けた。
口では「はい、はい」と言いながら、内心では〝わかってるよ!〟と小さく叫びつつ寺務所を出ようとしたら(身・口・意が一体になっていないのだが……)、背後から重ねて、静かに声がかかった。
「お捕まりになられませんよう」
職員の森合さんだ。
さあ、出撃!という勢いが削がれた。
これではもう、スピードを出すわけにはゆかない。
もちろん、小生は暴走族と無縁で、いつもいつも国禁を犯しているわけではない。
それでは「社会的に正しく」という教えに背く。
だから常日頃は羊のようなものだが、やむを得ない時にはウィーンとやらかす。
この衝動についてはひところ、妻や娘から「人が変わったようになる」と攻撃されもした。
まあ、こうした〈小さな牙〉を隠し持つのは、かつて少年だった男性に共通の悪癖とでも言うべきものだろう。
その小さな宝ものが、雅(ミヤビ)な一言で木っ端微塵にされてしまった。
ダメなものは明らかにダメなのだ。
そう割り切らせてしまわない何かがある。
それは、修法中の自分と、日常生活を営んでいる時の自分とを異ならせている何かでもあろう。
困惑しつつ考えた。
〝──私はようやく、〈少年〉から脱皮しようとしているのではなかろうか〟
古希(コキ)になり、お迎えがそこまで来ているのに少年もないものだが、しわくちゃのお婆さんにだって〈少女〉が潜んでいたりするのが人間だ。
村岡空氏の詩『身』を思い出す。
そこにはこんな一節がある。
「生きるということは
だんだん透きとおっていくことであろうか
それとも
しだいに意識のように濁って
手や足をうしなって
ついにはささえきれずに
死の高みへ
ふわりと浮かびでることなのか」
私たちがいつまでも〈少年〉であり、〈少女〉であることは、浮かびでようとするものに細い糸一本でつながる重しなのかも知れない。
そう言えば、もはや10冊を数える「シルバー川柳」シリーズに載っている作品は、どれもこれも、揺れ、輝いている。
それらのうち、いくつかの正体は、糸につながれた〈重し〉たちではなかろうか。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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