あるテーマの研究をめぐり、東北大学の工学博士菅沼拓夫教授をお訪ねした。
研究室のビジョン「情報流制御による次世代ICTの創生」は大変興味深いものだった。
私たちが生きものとして過ごしている〈リアル空間〉と、コンピューターやネットワークが創り出す〈サイバー空間〉の間に発生する〈情報流〉が、両者の間をスムーズに流れ、双方を生かすシステムや技術を開発しておられるという。
白鳥則郎名誉教授が提唱する「共生」の実現へ向かうのだ。
情報流は現在、個人情報がどんどん集められるなどして、サイバー空間の方へは順調に流れているが、リアル空間への流れは、サイバー攻撃や個人情報の悪用などの問題が多く、課題山積らしい。
菅沼・阿部研究室としては、そこを突破しようとしておられる。
お話を聴きながら、「入我我入(ニュウガガニュウ)」つまり、ご本尊様が行者へ入り、行者もまたご本尊様へ入る密教の即身成仏(ソクシンジョウブツ)法を考えていた。
ご本尊様を前にして、あるいは思い浮かべながら印を結び真言を唱え、行者は徐々にご本尊様へ近づく。
行者の口から出る真言がご本尊様へ吸い込まれて行く。
しかし、これだけでは一方通行であり、修法としては未成立だ。
ご本尊様の御口から木霊(コダマ)のように真言が還って来なければならない。
もちろん、軽々に「お化けが見える」「神の声が聞こえる」と称する世界の話ではなく、行きと返りが同時となる往還(オウカン)の感得に全身全霊をかけねばならない。
行者の気持ばかりが先行すると、いくら夢中になって唱えても、行きっ放しになる。
自分が唱えた実感があるだけでは、いかに盛大であろうが即身成仏に無縁だ。
そうかといって、ご本尊様から発するものを感じ取ろうとする意識ばかりが先行すると、前述のように妙な思い込みが起こる。
そうして〈行き〉にのめり込むのも、〈返り〉を求め過ぎるのも、熱心な行者が非常に陥りやすい世界であり、『大日経』は、そこに留まることを厳しく戒めている。
極めて微妙で深遠な往還を求める密教の修法は、科学の世界で菅沼教授が探究しておられる形に通じるものがあると思えた。
私たちの心がきちんとしないまま、安易に仮想空間へ入って行けば、人生の浪費や現実の混乱などをもたらしかねない。
仮想空間からの情報を安易に受けとめれば、いかなる者に意識を操られるかわかりはしないし、思わぬ自滅が待っているかも知れない。
科学の分野であれ、宗教の分野であれ、こちら側と向こう側、一見、異次元にも思える2つの世界の情報が融通無碍(ユウヅウムゲ…互いに障りとならず、生かし合うこと)に流れる時、霊性が開発され、私たちの心も文明も、確かなステップアップを行えるのではなかろうか?