9月17日、第二例祭の護摩法が終了した後、ご参詣の方々へ短い法話を行った。
密教行者の究極的関心事は、お大師様が入定(ニュウジョウ…瞑想状態のまま他界すること)されたご心境にある。
もちろん、各種の資料は、〈その日〉を知ったお大師様が京の都と高野山を往復するなど入念に準備し、「弥勒菩薩(ミロクボサツ)の浄土から見ているのでしっかり励め」と言い遺されたことを示している。
それにしても、最後のお心は……。
凡夫にはわかりようがない、とあきらめてしまえばそれまでだが、行の果てにあるイメージは、そこにありそうでもつかめない。
鎌倉時代、最初の東寺座主(ザス)となった真光院禅助(ゼンジョ)は、その秘密について言い遺した。
「不動の三摩地(サンマジ)に入り給うなり。
右の杵(ショ)はこれ剣なり、左の数珠は索(サク)なり」
三摩地はサマーディであり、心が深まりきった状態をさす。
つまり、お大師様は、お不動様のご心境に成り切ったのだと言う。
お大師様が右手に持っている五鈷杵(ゴコショ)は先端が尖っており、元々はインドの武器だった。
それは、お不動様が右手に持っている剣を意味する。
また、お大師様が左手に持っている数珠は、お不動様が左手に持っている索を意味する。
お大師様は常々、お不動様のお気持ちではたらかれ、そのまま旅立たれたのだ。
そういえば小生も入門早々、指導された。
「人々の僕(シモベ)である不動明王を目ざしなさい」
そもそも、お不動様はお大師様によって日本へ招来された。
唐から帰国する途中、暴風雨の海上でお不動様に船を守っていただいて以来、大日如来の使者である不動明王は、修法の中心となった。
密教行者は365日、不動法を結ぶ。
護身法と不動結界法は、あらゆる修法に欠かせない。
後宇多上皇に密教を授け、後醍醐天皇の護持僧でもあった禅助は、さすが国師と称されただけのことはある。
84才という当時では桁外れの長寿をまっとう切るその瞬間、きっと、師と同じく不動明王の世界へ入り、弥勒菩薩の浄土を目ざされたことだろう。
ご関心のある方は、お不動様のお姿とお大師様のお姿を見比べて欲しい。
鎌倉時代に説き明かされた真実に度肝を抜かれることだろう。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。
「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM