前回にひき続き、今回も『法句経(ホックキョウ)』の「篤信品(トクシンボン)第四」を意訳します。
(比丘が信じ、実践すれば、聖者に称賛される。因果を離れた絶対の安心の世界に憩う時、迷いの生存をもたらすすべての束縛から解き放たれる)
(信じ、戒めを守り、智慧の心でしっかりと修行すれば、強壮な人は怒りに左右されなくなり。迷いの淵から脱する)
(信じれば戒めはよく守られ、智慧も授かる。あちこちにでかけると、どこででも供養を受ける)
(世間的な利益に比べれば、智慧と信心とは明らかに財物中最高の宝ものである。世間的な財宝は無常でしかない)
(さまざまな賢者たちと会い、教えを聴き学ぶことを楽しみ、我がものを手放したくないと執着する心の汚れを捨て去る。これが真に信心ある人と言える)
(信心ある人は、迷いの岸から悟りの岸へ渡り、その福徳はなんぴとも奪えない。喧騒を離れた閑静な場所には行者の楽しみがある)
(信心のない人に慣れ親しんではならない。そうした者は正しい言葉が身から離れ、うまく水を得られないのと同じである。泉を掘り当てようとして泥しか挙げられないようなものである)
〔七五〕士に信と行(ギョウ)有れば、聖の誉(ホ)むる所と為(ナ)る、無為(ムイ)を楽しめば、一切(イッサイ)の縛(バク)解(と)かる。
(比丘が信じ、実践すれば、聖者に称賛される。因果を離れた絶対の安心の世界に憩う時、迷いの生存をもたらすすべての束縛から解き放たれる)
〔七六〕信と戒と、慧意(エイ)もて能(ヨ)く行(ゴウ)ずれば、健夫(ケンプ)は恚(イカ)りを度(ド)し、是(コ)れに従(ヨ)りて淵を脱(ノガ)る。
(信じ、戒めを守り、智慧の心でしっかりと修行すれば、強壮な人は怒りに左右されなくなり。迷いの淵から脱する)
〔七七〕信は戒を誠ならしめ、亦(ま)た智慧を受(ウ)く。在在(ザイザイ)に能(ヨ)く行き、処処(ショショ)に養わる。
(信じれば戒めはよく守られ、智慧も授かる。あちこちにでかけると、どこででも供養を受ける)
〔七八〕方(マサ)に世利(セリ)に比すれば、慧(エ)と信とは明らか為(タ)り。是(コ)れ財の上宝(ジョウホウ)、家産(カサン)は非常なり。
(世間的な利益に比べれば、智慧と信心とは明らかに財物中最高の宝ものである。世間的な財宝は無常でしかない)
〔七九〕諸(モロモロ)の真を見んと欲し、法を聴講(チョウコウ)するを楽しみ、能(ヨ)く慳垢(ケンク)を捨(シャ)す、此(コ)れを信と為(ナ)す。
(さまざまな賢者たちと会い、教えを聴き学ぶことを楽しみ、我がものを手放したくないと執着する心の汚れを捨て去る。これが真に信心ある人と言える)
〔八〇〕信は能(ヨ)く河を度(ワタ)り、其(ソ)の福奪い難(ガタ)し。能(ヨ)く禁じて盗みを止(ヤ)めよ。野は沙門(シャモン)の楽しみなり。
(信心ある人は、迷いの岸から悟りの岸へ渡り、その福徳はなんぴとも奪えない。喧騒を離れた閑静な場所には行者の楽しみがある)
〔八一〕信無(ナ)きに習(シュウ)せざれ。好んで正言(ショウゴン)を剥(ハ)ぐこと、拙(ツタナ)く水を取るが如し。泉を掘るに泥を揚ぐ。
(信心のない人に慣れ親しんではならない。そうした者は正しい言葉が身から離れ、うまく水を得られないのと同じである。泉を掘り当てようとして泥しか挙げられないようなものである)