
年老いたお釈迦 様は、周囲へ希望された。
以下、武者小路実篤著『釈迦 』より抜粋する。
「」内は漢字や仮名を現代風に変えている。
「私も年をとった。
そばにいる人が一人ほしく思う。
世話もやいてほしいし、この世で話しておくことを覚えておいてほしく思うから、それでお前達が適当と思うひとがあったなら、選んでほしい。」
一番弟子となった憍陳如(キョウジンニョ)が手を挙げ、お釈迦 様は制した。
「お前自身、年をとっているではないか。
どっちがさきに死ぬかわからない。
お前自身世話をしてもらわなければならない身体だ。」
神通力でお釈迦 様のお心を忖度(ソンタク)した目犍連(モッケンレン)は、阿難 (アナン)が適任者であろうと目星をつけた。
阿難 は、お釈迦 様が気を許せる相手であり、記憶力抜群でもあった。
目犍連は幹部にはかり、同意を得た上でお釈迦 様に具申したところ、案の定、意中の人だった。
しかし、皆に頼まれても阿難 はなかなか、首を縦に振らない。
とうとう最後に、受諾するにあたっての条件を三つ、示した。
「一つは仏陀 (ブッダ)のお着になった着物を新しいものも、古いものもいただかないこと。
二は仏陀 が招かれてご馳走になられる時、一緒にお伴をしないこと。
三はお目にかかる時でない時は、お目にかからないこと。」
目犍連はたいそう喜び、お釈迦様へ報告しようとしたが、他の弟子たちは、条件の意味がよくわからなかったらしい。
お釈迦様は喜ばれた。
「阿難 は賢い男だ。
とやかく云われることを、前から予防しているのだ。
多くの比丘(ビク…男性の出家修行者)の内には阿難 は衣のために仏陀 に奉事しているのだ。又食物のために奉事しているのだなぞと云うものがあるのを知っているので、それを予防したのだ。
又阿難 はよく時を知っている。
今如来 (ニョライ)の所に逢いに行っていいか、わるいかを知っているのだ。
又信者 の人達がいつ如来 に逢っていいかわるいか、異教のものをいつ如来 の所につれて行っていいか、わるいか。
又如来 が食事をすませて、安穏にしているか、いないかを知り、又如来 が食事を終わってよく説法が出来る時か、出来ない時かを知っている。
阿難は賢い男だ。」
阿難は「仏陀 の気持や、神経をよく知って、謹みを忘れない男だった」という。
彼はお釈迦様が入滅される時までずっとお仕えし通した。
権威 にあやかろうとしない。
おこぼれにあずかろうとしない。
ただ、ひたすら、師が役割を果たせるよう気づかう。
人柄がよく頭もよいのは秘書 として最低の必要条件だが、充分条件としてこの三つは欠かせない。
お釈迦様が80才まで現役を続けられたのは、如来 となったからこそ、ではあるが、阿難や目犍連など、仏性に目覚めた弟子たちのはたらきも決して小さくはなかったはずだ。
だからこそ、死の床でこう言われた。
「これ以上生きても、私は何にも益するところはない。
私はすでに済度(サイド…安心の世界へ導くこと)すべきものは済度した。
そしてまた済度しないものにも、済度される因縁を与えた。
もう私はするだけのことをしたのだ。
そしてわが弟子がわが教えに従って生きる限り、如来の法身(ホッシン)は常にあって滅しないのだ。」
師弟 関係における理想の姿は圧倒的だ。
そして、最高の権威 者が、自分を含めた組織の運営は合議 に任せた点にも、大いに考えさせられる。
お釈迦様は、古くから四阿(アズマヤ)などで長老を中心として行われていた公開討論の美風を守られた。
仏法が今日まで伝えられるに至った智慧と因縁には頭を垂れるしかない。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA
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