
寺院や寺子屋 ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
当山では、寺子屋 やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。
小生の土台はこの教えによってつくられました。
中年にしてこの道へ入った小生は、『法句経 』を読み、自分は肝腎なことをいかに知らなかったか、また、知らずに知ったつもりでいたか、痛感させられました。
ここにある教えはいずれも難しい哲理などではありません。
中学生ほどの読解力があれば、誰でも〝そうか〟となる範囲のものです。
それでもなお、〝そうだった……〟あるいは〝──そうなのか〟と心の目を見開かされる思いになることでしょう。
どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)
前回に続き【教学品(キョウガクホン)第二】です。
これより【多聞 品(タモンボン)第三】へ入ります。
・多聞 品(タモンボン)とは、亦(マ)た聞きて学ぶを勧めて聞(モン)を積みて聖を成(ジョウ)じ、自ら正覚(ショウガク)を致す。
(多聞 品は説く。教えを聞いて学ぶよう勧め、聞いた教えを心に積んで己を清め、自ら正しい悟りを完成せしめる)
〔五一〕多聞 (タモン)を能(ヨ)く持すること固く、法を奉ずるを垣墻(エンショウ)と為(ナ)し、精進 して踰(コ)え毀(ヤブ)ること難くす。是れに従(ヨ)りて戒と慧(エ)成(ジョウ)ず。
(たくさんの教えを聞いて固く保ち、仏法 を報じて心の垣根とし、精進 して煩悩が侵入しにくくする。これによって戒めは守られ、智慧 が生ずる)
〔五二〕多聞 (タモン)は志を明らかならしめ、已に明らかなれば智慧 増し、智則ち博(ヒロ)ければ義を解(ゲ)し、義を見れば法を行ずること安し。
(たくさんの教えを聞けば志すところが明らかになり、明らかになれば智慧 が増し、智慧 が博くなれば教義が理解でき、教義を理解すれば仏法 の修行が順調に進む)
〔五三〕多聞 (タモン)は能(ヨ)く憂いを除き、能(ヨ)く定(ジョウ)を以(モッ)て歓びと為す。善く甘露の法を説き、自ずから泥?(ナイオン)を得るを致す。
(たくさんの教えを聞けば憂いが除かれ、念入りに行う瞑想が喜びとなる。他者へ熱心にみ仏の教えを説き、いつしか自分も涅槃へ赴く)
〔五四〕聞きて法律を知ると為し、疑いを解き亦(マ)た正しきを見、聞(モン)に従いて非法を捨て、行きて不死の処(トコロ)に到る。
(教えを聞いて仏法 と戒律 とを知り、疑問を解き正しい道を見出し、教えを聞くに従ってためにならぬことを捨て去り、絶対安寧の境地に達する)
〔五五〕為に能(ヨ)く師は道を現わし、疑いを解きては明らかなるを学ばしむ。亦(マ)た清浄の本を興し、能(ヨ)く法蔵を奉持(ブジ)せしむ。
(絶対安寧の境地へ導くために、師は道筋を示し、疑問を解いて明らかにそれを知ることができるよう学ばせる。また、清浄な教えの本を興し、たくさんの教えを尊び護持させる)
〔五六〕能(ヨ)く摂(セッ)すれば義を解(ゲ)するを為し、解(ゲ)すれば則ち戒は穿(ウガ)たれず。法を受け法に猗(ヨ)らば、是(コ)れに従(ヨ)りて疾(ト)く安きを得ん。
(心や感覚器官の働きを制御すれば教えの道筋を理解し、理解すれば戒律 は破られない。教えを受け、教えに依って修行を進めれば、これによって速やかに絶対安寧の境地へ入られる9
〔五七〕若(モ)し多少聞くこと有りて、自ら大とし以(モッ)て人に?(オゴ)らば、是(コ)れ盲(モウ)の燭(トモシビ)を執(ト)りて、彼を照らすも、自らは明らかならざるが如(ゴト)し。
(もしも、教えを多少聞き、自分は大したものになったと過信して他人へ威張れば、目の見えない人が灯火を手にするようなものである。灯火は彼を照らしても、彼はその明かりで周囲がよく見えるわけではない)
〔五八〕夫(ソ)れ爵・位・財を求め、尊貴なること天福(テンプク)に升(ノボ)るも、弁と慧(エ)あるの世間に悍(タケ)きは、斯(コ)れ聞(モン)を第一と為(ナ)す。
(名誉や地位や財産を求め、神のごとき王になろうとも、正しい言葉と智慧 をもって人を救う力がある者としては、教えを聞いて悟った者が一番であり、かなわない))
〔五九〕帝王の聘礼(ビョウライ)は聞(モン)なり、天上天(テンジョウテン)も亦(マ)た然(シカ)り。聞(モン)を第一蔵と為(ナ)さば、最も富み旅力(リョリキ)強し。
(帝王が遠く臣下を派遣して礼を尽くし学ぶのも教えを聞くためであり、天界の最上位にあろうとも同じである。悟った聖者 の教えを会得すれば最高の富を得、あらゆる力を発揮できる)
〔六〇〕智者は聞(モン)の為(タメ)に屈し、道(ドウ)を好む者も亦(マ)た楽しむ。王者は心を尽くして事(ツカ)う、釈・梵(ボン)と雖(イエド)も亦(マ)た然(シカ)り。
(智慧 ある者は教えを聞くために礼を尽くし、道を求める者もまた聞いて満足する。王は聖者 にまごころで仕え、帝釈天〔タイシャクテン)〕や梵天〔ボンテン〕といった神々も同じである)
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
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