
航海士である米澤弓雄 氏の句集『無明』をひもといた。
頭痛 が蝶 を生んだ。
蝶 は幻としてあちこちに生まれやすいが、巖(イワオ)の間から姿を現したところがいかにも海の男らしい。
蝶 が舞い上がるところを実際に見たのか、とも思わせる。
頭の痛みが意識を鈍らせるだけでなく、意識をピンポイントでフォーカスさせる異様な力も持ち得ることを示している。
病んで故国日本へ帰ることを諦めた安西冬衛 は詠んだ。
「てふてふが一匹韃靼(ダッタン)海峡を渡って行った」
蝶 々が一匹、間宮海峡を越えて樺太へ渡って行くのが見えたという。
日本から見れば間宮海峡だが、中国大陸から見れば韃靼だ。
望郷の念が幻の白い蝶 を生んだのだろう。
冒頭の句は安西冬衛 をふまえたものだろうが、断然、私たちに身近な感覚となっている。
てふてふ、と、ダッタン、の組み合わせは音楽でもあり、絵画でもあるが、頭痛 とくれば、もう自分のことである。
氏にはこういう句もある。
「木犀(モクセイ)や痛みのつづく胃はおのれ」
木犀は暗闇の中でも樹の位置がわかるほど香りが強い。
木犀が香ってくるあたりはタダの空間なのに、それが〈存在〉として、そこに〈在る〉、もしくはそこに〈居る〉という感覚にさせてしまう。
その香りに氏は襲われた。
自分を支配している胃の痛みに加え、今度は木犀の香りが強く立ちはだかって困らせる。
普段は佳い香りのはずなのに、胃痛 に耐えている人にとっては追い打ちとなる。
泉鏡花 はこう詠んだ。
「木犀の香に染む雨の鴉かな」
雨の夜ならば、カラス の姿はまったく見分けがつかない。
しかし、木犀の香りはあらゆるものを包み込み、染めてやまない。
見えないものまで染めてしまう。
しかし、この句にはもう少し奥行きがありそうだ。
雨を避けながら活動しているカラス には淫靡(インビ)な気配がある。
泉鏡花 の作品であることからしても、強い甘さを伴った木犀の香りが性的な刺激に結びつかないはずはない。
こんなことを思いながら読むと、安西冬衛 は飛んでいるし、鏡花はゆったりとしているが、米澤弓雄 は切実だ。
頭痛 の句といい、胃痛 の句といい、いつも波の上でいのちを守るという現実から離れられない人の宿命 を感じる。
最後にもう一句、宿命 の人の句を挙げておきたい。
「夏痩せの鉄色なせり鉄筋工」
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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