これまで二度、仏教
が瞑想
などによって迷いや苦しみから離れる実践的視点から、ポケモンGO
が持つ問題点について書いた。
批判に対し、仏教
の包括的、かつ、すべてを生かす視点や姿勢からはどうなのかというご意見をいただいた。
確かにそのとおりであり、まして、この世を大日如来の〈密厳国土(ミツゴンコクド)…仏菩薩の徳に満ちた世界〉と観る密教の立場からすれば、何一つとして、み仏のおはからいから外れるものはないはずだ。
何ものをも生かすのが、み仏の慈悲であり、智慧である。
方手落ちにならぬよう考えてみたい。
1 仏教
的観点
あらゆる人は〈本来のみ仏〉に成り切ることのできる可能性、つまり仏性(ブッショウ)を具えている。
そして、いのちあるものも、いのちを持たぬものも、すべては本来、密厳国土を構成し得る。
また、一切の差別(シャベツ)なくあらゆる人を救うみ仏には、密厳国土へ向かわせる方法、つまり方便(ホウベン)が具わっている。
2 ポケモンGO
の恩恵
さて、このアプリは、この世の幸せとあの世の安心につながるいかなる要素を持っているか?
恩恵の第一は、驚きを伴う素朴な達成感ではなかろうか?
誰でもが努力への報酬を手にすることができるという面は、閉塞感のある現代にあって、一種の心理的救いかも知れない。
これらは、日常生活における仕事上の因果応報
とは異なり、上司や同僚や取引先などの思惑や動きなどに左右されず、自分の目と手と足と運とによっていつか必ず達成されるもので、ことがうまくいった時の喜びや満足感にはかなりの力があることだろう。
また、屋外への誘いを伴っているので、あまり屋外へ出ない人々が、つられて日光の降りそそぐ世界へ出るきっかけとなる点も見逃せない。
実際、自閉症の人が別人のような行動をとるようになった例も報告されている。
もっとも、自閉症の人が門から外へ出たからといって急に回復したわけではなく、家族など周囲の人は、その人が家の中にいる時よりも余計に注意を向けなければ、いかなる状態になるかわからないので、決して、出たから安心なわけではない。
ただし、身体心理学
によれば、〈からだ〉と〈こころ〉は二元的なものではないので、〈からだ〉の動きは必ず〈こころ〉に影響を及ぼすとされ、落ち込めば俯(ウツム)くが、俯きがさらなる落ち込みにつながり、顔を上げることによって落ち込みを改善するといった療法も用いられていることを考えれば、「外へ出る」「外へ出た」変化は必ず何ごとかであるはずだ。
変化を生かす智慧が生まれ、智慧が広く共有されるようになれば、人々の〈歩み〉には、ポケモンを探すという目先の目的以上の意義をも見出せることになるかも知れない。
また、アプリにまつわる周辺産業の拡大や活性化、あるいは人が集まる場所の有効活用など、産業界への波及効果もあろう。
そして、個々人の行動はすべて膨大な情報となり、管理者には無限の利用法が待っていることだろう。
ただし、管理社会化は個人の尊厳を脅かす危険性に満ちており、そうならぬよう防止する方策が後手に廻ることなく整備されねばならない。
3 キーワードは共生
文化に新たな局面を拓いたポケモンGO
はこの先、光の面と闇の面と、さまざまな可能性を持って進展して行くことだろう。
東北大学名誉教授白鳥則郎氏が「人類とIT環境との〈共生
〉」を説かれるように、人類はポケモンとうまく〈共生
〉して行けるかどうか、すべての試みは始まったばかりである。
人間の手によって生み出されながら、人間の手に負えなくなりつつある核爆弾、核発電のような運命をたどらぬよう願うしかない。
※以下もご覧ください。
ポケモンGOが抱える根本的問題 ─背景とフィルター─(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-5157.html
)
ポケモンGOが抱える根本的問題(その2) ─視線・場・映画館─(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-5158.html
)
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから
どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから
どうぞ。
「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M
[投票のご協力をお願いします。合掌]


にほんブログ村


