
あと3週間で立秋 、山里の朝はすでに、虫 たちが主役です。
まだ、梅雨明けもしていないのに、天気予報士たちはあれほど「酷暑」を心配していたのに。
昭和37年、高橋元吉 が書いた詩「鳴く虫 」を思い出しました。
「草かげの
鳴く虫 たちの宝石工場
どの音もみんなあんなに冴えてゐるから
虫 たちはきつといつしんになって
それぞれちがつたいろの宝石を
磨いてゐるのだらう
宝石のひかりがうつり
いひやうもない色まであつて
方々の草かげがほんのりあかるい」
虫 それぞれなりのいのちの発露が迫ってきます。
聴いた作者はついに、「ほんのりあかるい」と見える人にまでなっています。
全人格、魂をかけて虫 の音を受けとめているのがわかります。
今から20年前、中川重年 氏は名著『再生の雑木林 から』に、学びと共生 の道を示しました。
人の手が入らず長年、放置された林はササなどに占領され、人間が足を踏み入れられないどころか、多様な植物たちが生きる場も失われます。
私たちが普段、住んでいる地域からそう遠くないところにある雑木林 は、ちょっと工夫して目をかけ、手をかければ、見違えるほどに生き返り、林の中の多様な動植物たちが活き活きすると共に、人間と林の共生 も可能になります。
こうした見通しのよい空間が保たれれば、熊に対する一種のバリアともなり、最近、各地で発生している熊騒動の解決にも一役買うのではないでしょうか。
「雑木林 で家族、友達、地域の仲間とともに行動することは、多様な自然の事象にぶつかり、それに対応する判断力、行動力、協調性、共同作業、他人へのいたわりといった、グループとしての質を高める訓練が不断に行われてくる。
さらに、こうした活動の結果、林床植生にこれまでなかった植物が再生してくることを目の当たりにすると、そのわずかな自分がかかわった自然に対するインパクトが、一部の優占種群を抑え、多くの種類の植物に平等な空間を与えていることに気がつく。
人間社会のあり方にも、まさしくこうしたことが要求されているのではないだろうか。
ともに始めた『きずなの森』の活動から、こうした新しい自然と共生 する人間の生きる方向性を学んできたように想われる。」
そうだよなあ、と思っている頭に浮かびました。
〝終括
の本質は生きなおしではないか……〟
いわゆる終活ならぬ人生の締め括りを真剣に考えるのは、それまでの生き方を振り返って一つの区切をつけることであり、その先に必ず、新たな生き方が待っているはずだ。
新たな生き方をつかんで初めて、終括
ができたことになる〟
私たちが終括
を行えばそれで人生の幕が降りるわけではありません。
また、死後の準備をすればそれで済むわけでもなく、私たちの生は続きます。
それなら、〈新たに生きる〉意識を持つことが重要ではないでしょうか?
インドのバラモン教には古来、四住期
(シジュウキ)という考え方があります。
1 学生期…学問の期間
2 家住期…社会人として役割を果たす期間
3 林棲期…森林で修行する期間
4 遊行期…遊行しつつ死を待つ期間
思えば、終括
は3番目に当たると言えそうです。
いきなり家や家族から離れなくても、それまでの人生を省みつつ、人間とは何か、人生とは何か、自分はこれから一人間として何を行いつつ残りの生をまっとうすべきか、という人生の根本問題に向き合うことはできます。
そして、やがて、モノ金や名誉にこだわらず、自然に死を待つようになれば、理想ではないでしょうか。
──一人一人が人生の大事と向き合う貴重な時間……。
虫の声を聴き、雑木林
を想いつつ、こんなことを考えました。
虫たち、雑木林
のいきものたち、それぞれの人生を生きる私たち、めくるめく多様性が輝く世界です。
いつのまにか虫たちは朝の饗宴を終え、今日も一日が始まっています。
原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
般若心経の音声はこちらから
どうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらから
どうぞ。
「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y
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